2008年10月18日土曜日

Evolution of Language

1859年のダーウィンの種の起源説により人類の進化が解明されたが、依然人間の言語の進化は謎に包まれている。先日NHKの番組(2008年10月12日9:00~9:50)を見た。それは、読字障害についてだったが、病気の謎から人類の進化を謎説くものだった。

ご存知の方も多いだろうが、脳は左半球、右半球に別れ、左脳が言語をコントロールしている。特にWernicke's area(ウェルニック野)とBroca's area(ブローカ野)が言語のプロセスに深く関係している。上ウェルニック野は聴覚と信号を感知し、ブローカ野に伝えられ意味に解析される。文字の場合は視覚野を通った後39/40野を通りここで、文字が音へと変換される。読字障害の人はこの39/40野での文字から音への変換が困難となるらしい。

しかし、人類が文字を発明したのは、人類の長い歴史の中ではつい最近のことである。言葉は1,600,000年前に話され始めたと言われていますが、文字はメソポタミア文明の時代(今から5,000年前ぐらい)になる。そして、活版印刷(600年前)が発明され、産業革命(200年前)以降我々は膨大な文字を毎日見ている。そして10年ほど前、インターネットの普及により更に我々は毎日文字を見ることが多くなっている。言葉は長い年月をゆっくりと時間をかけながら進化した一方で文字の浸透は急速だった。人間が文字の進化についてきていけていないのかも知れない。

我々の脳は進化の過程で言語に適した領域(ウェルニック、ブローカ)を獲たものの、文字の処理のための領域は特に獲ていない。39・40野は文字の認識の領域ではなく、本来は視覚、聴覚、体性感覚などの領域であり、そこを使っているだけなのだ。

この領域はスポーツや音楽などと同じように個人差がある部分だ。この領域が発達していないからといって劣っているわけではない。読字障害者の場合、この部分が弱い分、右脳で図形や通常の人が持っていない能力を発揮することが分かっている。39・40野も実は人間が道具を使うようになり発達した部分なのだ。この部分を強めるには、視覚や身体を使う練習が効果的であるようだ。

外国語学習で、特に早期の学習でTPR(Total Physical Response)が言語の学習にとって効果的なのは39・40野を活性するからかもしれない。また児童は絵本やカードの使用が良いのもこのことと関連性があるかもしれない。日本人が欧米人に比べて読字障害者が少ないのは、漢字が視覚的な情報となり39・40野を活性させているからなのではないだろうか。

文字を導入する前に、視覚や体性感覚を強めておくことも言語の習得にとって必要な条件なのかも知れない。

2008年9月10日水曜日

Speaking L2 is a Cogntive Lifesaver?

2ヶ国語を話す児童が1ヶ国語しか話さない児童よりも高い知能を身につけることは最近の研究で証明されてきている。このことは、逆、すなわち高齢者の痴呆症との関係においても深い関係があるらしい。

あるカナダの研究グループが、高齢者の二ヶ国語を話す人たちと、一ヶ国語しか話さない人たちの痴呆症になる傾向を調査したところ、二ヶ国語以上を話す老人たちは一ヶ国語しか話さない人たちよりも痴呆が始まるのは、平均4年も遅かったことが報告されている。

人間の言語のメカニズムは依然解明されていない状況である。我々は言葉を覚えるのは、音と意味をつなぎ、それが経験や行動を通して、神経生理学的に脳神経に自己組織化されていくと考える人がいる。またある考え方の人は、言葉はコンピューターのようにシステムがありそれがある記憶した情報を文法という構造により文章化するという言う。どれが正しいかは別として、別の言語により経験や記憶が二つの領域において処理されていれば、その処理能力あるいは、記憶の維持はひとつで処理している場合よりも優れる可能性は高いかもしれない。

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2008年8月31日日曜日

Phonological awareness is what all children need first

児童の英語学習でもっとも大切なのことは音声の認識力を養うことです。大人に比べて一般的に音声に対して柔軟な感性をもつ児童は音素を拾うことに苦労することは少ないと言われています。しかし、正確に正しい音素を認識させることと、それが認識されていることを確認することは音素を教える指導者や親の責任だと思います。

インプットが少ないEFLの環境において音素を聞いてもそれを模倣したり、定着させる機会が少ない場合学習者が自然に偶発的に身に付けていくことは非常に難しく思えます。また間違った音を聞くことも音素を学ぶ重大な機会に大きな影響を与える可能性があります。

ネイティブの講師が児童教育で依然重視されているのはこの点にあると思います。日本人の講師でも英語の正確な音素をインプットとして与えることができる指導者も多くいます。しかしながら、できない日本人講師が多いのも事実です。これは、日本人の講師自体に英語の音素をすべて認識していない講師もいるからです。英語の音素は44あり、日本語は50音といいますが、音素自体は20音素しかないのです。このため、音素へ認識の少なさは発音や、英語のつづりの指導にも影響が生じます。

児童の英語にとって必要なのは、英語を書くことや読むことでもありません。会話のために絶対必要となる音素を身に付けるためなのです。これは音楽の指導とにています。最終的に楽器が演奏でき、譜面を読めるようになることが目的でも、絶対音階が身についていない人は音楽の演奏や歌うことが上手くできないことと似ています。

そしてこの絶対音階も英語の44音素の認識も人間は早期においてしか容易に習得できないのです。(容易にという意味は、高いモチベーションと苦労があればだれでも身に着けれるということです。)

英語は音素が他の言語(平均31音素)よりもさらに多く、上述にように日本語の2倍の音素数を保持します。よく言われる英語耳とはこの44音素を聞き取れる耳ができるかなのです。

大人の方でどんなに英語が読めても、単語を知っていても、いざリスニングや会話になると聞き取れない、または意味を取り違えるなどのミスコミュニケーションが起こるのは発音や音の認識が少ないためとも考えられています。音をコード化するためには、コードを知っているだけではだめなのです。音をまず覚えなければなりません。英語の場合は音があって、それをコード(文字){残念ながら無秩序コードルール}にしたため、音の認識がこの言語の必要条件となっているのです。

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2008年7月15日火曜日

How to motivate yourself in summer

夏は学習にとって挑戦的な季節です。士気が高くてもこれだけ気温が高いと熱自体がenervate(気力をなくさせる)させます。地球温暖化やエネルギーの消費の節約から涼を取ることが難しくなってきています。

そんな夏にはどのように学習をするのが良いのでしょうか?学校は夏休みに入ります。日本でも海外の学校に比べて少ないながらも6週間の休みがあります。夏になれば、我々の食欲もなくなりその食欲を増すためやまた健康管理のために通常の食事とは異なる食事の工夫をします。以前、食は体に、言葉は心にと書きました。体の管理のため、夏にはスタミナが付く肉を食べたり、酢の多く使われるものを食べたりします。またカレーなどの体を冷やす南国の食べ物を食べたりします。

言葉にも季節による学習変化をつける必要があるとしたら、夏は学習方法に変化を与える時期かもしれません。食事と同じようにスタミナやスパイスの付いた言語学習を夏にやってみるのがこの時期のモチベーションの低下を予防する方法でしょう。

会話が好きな人なら、時間とお金があれば海外で自分の英語力をトライしてもよい。お金が無ければ最近は日本の観光地に外国人が沢山訪日しているので声をかけてみるのも刺激になるかもしれません。

Output的なことが出来ない人は、わんこそば競争的なcomptetitive(競争心を仰ぐ)なことをやってみるのもよいでしょう。例えば、DVD鑑賞100本とか、洋書30冊など日ごろできない大きなタスクをやってみるのもよいでしょう。このような大量のインプット作業は普段なかなか出来ないものです。

夏休みこそ刺激ある英語学習をすることによって、秋に大きな実りをつけるチャンスになるのです。

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2008年6月8日日曜日

Three things we have to do as human being

中国のことわざに人間が生まれてやらなければいけないことが3つあり、それの一つをやらなければ人生を終えてはいけないと言う。一つは家を建てること、二つ目は男の子を育てること、三つ目は本を書くことだそうだ。もちろんこれは象徴的な表現である。家とは大きくいえば子孫たちのための住んでいける環境である。男の子とは継承してくれる人。本とは過去の知識を伝えることと意味していると思う。

我々は今環境問題、食糧問題、教育問題と色々な課題を人類全体で抱えている。人類にとって家とは地球である。私たちは次の世代が生きていけるこのきれいな地球を残していく責任がある。受け継いで行ってくれる人類についても我々は少子化、子どもたちの自殺などを防ぐことも出来ない状況にある。そして過去の知識の継承。様々なメディアが進化し、伝えることが容易になった反面、混乱した情報は本当の知識を次の世代に伝えていないのではないだろうか。

この中国のことわざが伝えるのは人間としてすべきことを忠告するだけでなく、人類に対するメッセージにも感じた。

一人ひとりが家族であれば、地球と言う家を残し、こども全てがわれわれの子孫であれば、その子どもたちに一人一人の人生の本とすべき教えを自分の子どもに限らず教えていくことが人類全体の使命だと思う。

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2008年6月1日日曜日

Useful Expressions Part 7

  • vegan 完全菜食主義者
  • sociopath 反社会的な人間
  • career track 出世コース
  • show-off 目立ちたがり屋
  • far-fetched こじつけの
  • jaded 疲れた
  • obnoxious 不快な
  • quip ジョークを飛ばす
  • striking 目を見張る
  • disgraceful 不名誉な
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2008年5月25日日曜日

Multi Intelligences

以前あるアメリカ人の研究者と話をしていて、「日本人の親はなぜ子供が全員頑張れば勉強ができると思うのか?アメリカでは勉強などができない頭の悪い子が自分の子なら勉強をしろと言わないで、その子のできること、家族で受け継いできた技術を伸ばすことを考えてあげる。勉強ができない子は逆に言えば何か他の才能がある信号なんだよ。」と言った。私は、「日本にもそんな親が高度経済成長期以前にはいたし、この国が全員高度経済成長で高度な学力でしか出世できなくなった社会構造上の問題だ。」と説明した。

1983年にハーバード大学のHoward Gardner博士がMulti Intelligencesとい説を立てた。我々は言語的、理数的な能力にいつも焦点を当てている。理論的で説明力のある人を尊敬する傾向があるが、人間は一人一人何かの才能を持って生まれている。他の才能、例えば芸術、音楽、建築、自然学、舞台芸術、調理師などの様々な才能にも高い敬意を払う必要があると述べている。そして、こうした才能が早期に見つけられ伸ばされない限り、ADDや学習障害と認識されてしまうと述べている。

言語を話すことは第一言語に関しては誰もができることである。これは言語学者KrashenもいうようにAcquisitionによって習得するからである。しかし、第二言語を習得するには、特殊なプログラムや専門家のアドバイスを受けない限り第一言語を習得しながら習得できる人は特別な才能が必要となる。それは高度な知的能力、高度な記憶技術、音素を聞き取る高度な音楽才能などが必要となる。このような才能はもしその人が他の高度な技術を持って生まれた場合残念ながら無い場合、または極端に低い場合がある。そうした人が無理に第二言語を学習しても成果を得れない可能性があるのである。

高等教育が確実に日本の社会構造に組み込まれ、外国語教育も社会に入り込もうとしている。外国語の重要性や高等教育の必要性を説くのだけでなく、学習者個人の才能、個性も考えた個々に向いた教育の大切さにも焦点を当ててほしいものだ。NEETが社会問題になっているが、一人ひとりに合った教育や研修を与える機会を家庭や社会が作らなくなっているのではないのだろうか?

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2008年5月20日火曜日

Is structure sociolinguitically a neutral item to teach?

外国語教育がよりコミュニカティブな方向に向かい、古い文法中心の外国語教育は支持されなくなってきています。多くの文献や最近の研究で文法の学習は習得とは別の学習であり直接会話の技術に変換されないことや処方的な文法指導の場合学習者はKrashenの言うMonitorを発達させ、文法が発話を監視するため流暢さが妨げられると見られている。

しかしながら、その一方で今日の教材はほとんどがストラクチャーベースの文法を基盤に置いたシラバスとなっている。これはなぜだろうか?一つには文法中心の授業はシステマティックで教材が作りやすいという点がある。次に、コミュニカティブな授業を行うには教師・講師がネイティブやネイティブなみの会話駆使能力がないと、自然なインプットを多く生徒に与えられないため、現実公立などの学校の場合そうしたレベルの教師が大多数を占めていない現状がある。そして、更に、大きな原因は国家的な言語政策が関係している可能性もある。文法は一つの言語の客観的な分析であり、主観的な意見や文化的な情報がそこから得られることが少ないため、欧米などの文化や価値観がコミュニカティブな授業よりも入りにくいため閉鎖的な国家や西洋的な考えに先導されることを懸念する国家的な言語政策者は意図的に文法を中心に教えることもあるのである。誤解しないでいただきたいのはこの考察は特定の国についてではない。

Chomskyの仮説するUG(Universal Grammar:普遍文法)があるとするなら、言語の文法は我々人類が持つ唯一の共通言語領域である。それを考えると文法は中立的な言語要素かもしれない。しかし、英文法を別の角度で見れば、言葉の並び方例えば、SVOなどの英語の文型で主語を省略しない、述語が目的語よりも前に来ることを「英語を話す人たちは自分の主張が強い」と解釈するなら、文法自体の学習においても文化的な情報を得る場合があることになる。このような見方をすると文法中心の学習もどこまで社会言語学的に影響を受けない学習方法か疑問になる。

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2008年5月10日土曜日

Who is the language to communicate with?

GWでしばらく間があきました。これから少し忙しくなるので頻繁に投稿はできないかもしれません。

自分は英語の研究をしているので日本語、特に漢字にはあまり興味がないのですが、先日NHKのある番組を見ていて白川静氏(前立命館大学名誉教授)という人のことを知りました。白川氏は漢字学者で2年前に96歳の年齢で亡くなられている。白川氏は漢字の成り立ちを研究されたかただが、ユニークなのは漢字の成り立ちに於いて宗教的、呪術的なものが背景にあったと主張した。多くの批判があったものの、白川氏によって先鞭がつけられた研究は、古代中国史における呪術性を重視する研究者たちに引き継がれ、発展を遂げている。

つまり、白川氏は漢字は神との対話として使われ発達したと解釈している。私は英語を研究していて言語はコミュニケーションのために使うのもだと考えてきた。それは人と人が何かを伝えるものだと信じてきたからである。言語が神との対話のものであると言う説は受け入れない反面、なぜか納得できるところもある。それは人は対話を誰かとしたいと言う思いが強いという証明なのではないでしょうか?

話は言語学になりますが、private speechとは独り言、または脳内で行われる見えない別の人物との対話であり、私はこの会話が第二言語の習得にも必要だと思っているが、神との対話とはこのprivate speechが発展してものでないだろうか?宗教家であれば自分の疑問や悟りのための対話を見えないスピリチュアルな存在と対話を行うだろう。

文字以外でも人間は見えない何かと対話をしたい願望があるようにも思える。例えばナスカの地上絵。何の目的として書いたのかいまだ謎だが、これも人間がprivate speechから発達させた見えないものとの対話への願望の証なのではないだろうか?NASAが宇宙探索をする目的の一つには地球外生命体の確認もあるらしいが、これも見えないものの一つである。

コミュニケーションのための言語、しかしその相手は言葉により、人により相手は様々ということになるのでしょう。言語は見える相手だけでなく見えない相手へのメッセージを送る手段としても使われるいうことでしょうか?今こうしてブログを書いていて思うのは、私も誰か見えないコンピューターの先の人と対話をしようとしているということです。

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2008年4月26日土曜日

Can bilingual education foster real communication?

外国語教育の究極のゴールはどこにあるのだろう?そう思うことはないでしょうか?bilingual になることとmonolingualであることの社会性における利点、不利益は何だろうか?外国語教育が会話を中心とするならば、それはcommunicationを意識したもので無ければならない。

根本的な質問だがcommunicationとは何か?動詞のcommunicateは1384年に英語に入った古フランス語のimpartを意味するcommunicareに起源を持つ言葉である。この語はto share in, divide with anotherを意味する。つまり共有、分かち合うということを意味する。すなわち、それぞれの文化や意識を共有、理解できるようになることがコミュニケーションなのである。

異文化コミュニケーション研究者のAdrian HallidayはIntercultural Communication の本の中でessentialist view とnon-essential viewという二つの見方について述べていた。Essentialist(本質論者)は文化とは物質的な形があり、場所があり、同質であると言う見方をする。また彼らは世界はそれぞれ異なる国の文化に別れ、それぞれの国民は異なるという見方をする。これに対して、Non-essentialist(非本質論者)は文化は社会が作るものであり、社会は複雑なためそれぞれの文化の特徴を特定することは難しいと考える。彼らは文化は国境、社会の壁を超え、交じり合い、交差するため常に変容すると考える。この対極的な二つの文化に対する見方をmonolingual とbilingualに重ねてみるとどうだろう。もちろん、そのような行為自体本質論者的な感じもする。monolingualな人の中にもnon-essentialistはいるだろうし、bilingualな人たちの中にもessentialistはいるかもしれない。

多様な見方をすることが危険と思う人がいるかもしれないが、多様な見方をshareすることがcommunicationの本来の目的であれば我々の外国語教育こそがそのための社会学習手段だと思う。

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2008年4月18日金曜日

Lexical nightmare is the boon for brain?

英語の世界に入った人は語彙の迷宮とも思える英語の語彙の豊富さに圧倒される。もちろん、会話レベルではPaul Nation氏などが述べるように使用頻度の高い2,000語レベルで十分駆使していけるはずだ。この語数は確かに中学で学ぶ語彙数に近く、「中学レベルの英語でも英語は話せる」という本などを書かれる方の話もうなずける。このレベルであれば他の言語なら中級レベルまでにいけるだろう。

しかし、実は英語はここからが容易ではない。4,000~5,000でも中級レベルである。このあたりがGermanic English(ゲルマン系英語)の境界線である。ここからはAnglo FrenchやLatin, Greek系英語の語彙の世界が始まる。英語に同義語が多いのはこの英語と言う一つの言語の中に3~4種類の異なる言語が歴史的に入り込んでいるのである。そのためcow - beef -bovine のように最低でも3つ以上同じ意味を表す言葉が存在するのである。ちなみに、私はたまたま大学でスペイン語を学んだためかLatin系の英単語にはなじみやすかった。

英語はまたブラックホールのようにcoined wordと呼ばれる造語表現を生み出し、またloaned word(借用語)を世界中から取り入れていく。このため常に語彙が膨れる。その数は把握できないぐらいだ。おそらく1,000,000語近くあると言われている。それは人間には記憶できる数ではない。

世界には語彙を増やさずにシステムとして自分なりの表現を語彙の活用により作り出せる言語もある。そのような言語では語彙はそれほど必要としない。では何故英語は語彙がそんなに多いのか?。

言語を変えて、日本語を見た場合、日本語はなぜ漢字もひらがなもカタカナも必要なのか?なぜ読めない漢字などがあり、一生をかけて多くの漢字を読めるようにしたり漢字を忘れないように努めるのだろうか?この議論に似ているようにも感じる。

語彙を増やす、多くの複雑な語彙のシステムを持つことは人間が記憶という人間の証明を維持することと戦うために考えた知恵なのではないかとも思うことがある。話が変わるが、重力がない宇宙では人間の脳は重力の刺激がないために痴呆症になりやすいという科学的な記事を呼んだことがある。人間は脳を刺激し、人間であることを維持するために複雑な言語のシステムや語彙を増やしたりするのでないかと思ってしまう。

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2008年4月15日火曜日

Do not demotivate students before motivating them.

生徒にモチベーションがあってこそ授業は成功すると信じられています。講師は「生徒がモチベーションがある、ない」などと言いますがモチベーションとは何でしょうか?英語ではmotivationは名詞で日本語の意味の「やる気」などの意味も含みます。しかし、この単語は動詞motivate「動機付ける、刺激する」から派生しているはずです。他の感情動詞と同じように、英語ではこれらの動詞を人を主語として使う場合、He was motivated to go abroad by the book. のように受動態で使ったり、The book motivated him to go abroad. のように無生物主語の構文で使います。つまり、何か外在するものがやる気を与えるのです。日本語のように感情動詞が自動詞のような場合、やる気は内在する感情のように知覚されます。しかし、やる気は英語のように何かがやる気を起こさせるのではないでしょうか?

さて、我々講師・教師は生徒への動機付けへの責任は無いのでしょうか?生徒からすれば我々講師は英語を話すrole modelです。我々の姿が彼らに英語への興味付けをおこなうことは多々あります。講師がモチベーションを高めないにしても、モチベーションを下げるdemotivationを行うことは決してやってはいけないことです。

demotivation の研究は最近少しずつ行われています。最近よく聞く「引く」「引かせる」(英語ではturn offが一番近い表現だと思います)はdemotivateと関係があるのでしょうか?講師と生徒の間のchemistry (相性)やgeneration gap, gender gap, extremicism (行きすぎ)などもあると思います。しかし、教授法が問題の場合もあるでしょう。講師中心の授業では講師の価値観や講師のやり方を生徒が受け入れるか拒否するかと関わってきます。これが生徒中心の授業だったらどうでしょう。我々講師はもっと中立的でdemotivateする可能性は少なくなるのではないでしょうか?

もちろん、素晴らしい経験や英語の楽しい世界を身体から感じれる先生方もいらっしゃいます。そんな先生は多くの生徒をmotivateするでしょう。しかし、先生も人間。motivateして次の瞬間にdemotivateすることだってあります。どんなに素晴らしい先生でも全ての生徒をmotivateできないでしょう。生徒は先生だけでなく、色々なことにmotivateされます。講師はもっとneutral なスタンスを取り、demotivateしない方法を考えてみるのも大切なのではないでしょうか?

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2008年4月12日土曜日

Food for Body and Language for Soul

今日埼玉の教室のある入間市のFMチャッピーでゲストに呼ばれて、15分程度の短い放送だったが初めて公共の電波で自分の声が流れた。マイクとヘッドフォンをして話すのは緊張すると思ったが、意外に大丈夫でそれどころか楽しい気分になれた。

第二言語を教えながら、「話す」ということを時々考える。人間は何故話すのか?この疑問に正確に答えれる人はいないだろう。それは人間が考える動物だからなのだろうか?パスカルは「人間は考える葦」だと言ったが、考える動物や生き物は他にもいる思う。確かに、高度な動物は脳が発達し高度な言語を持つと思う。しかし、人間のように気持ちを伝えるために言語を使う生き物はいないと思う。

言葉を話して楽しくなれるのは人間だけではないだろうか?そうだとすると言葉は「心」の食事のように思える。食事は身体が求めるが、言葉は心のつながりを求めるのではないだろうか?しかもこの二つの関係はさらに相乗効果ももたらす。つまり、おいしい食事を楽しい会話をしながらとれば、身体も心も普通以上に満たされる。そして、身体も心も健康になれる。

逆に、マイナスに働く場合もある。十分な食事がなければ栄養失調になるし、十分なコミュニケーションがなければ孤独になり精神的な病気になる。バランスの取れない食事を家族の会話も無くとれば、だれもが身体だけでなく心も病んでしまう。

言葉が心への栄養だとしたら、どのような会話が人をより健全にするか研究すべきだと思う。アメリカには幸福を研究する人がいるが、心の健康のための会話学も研究されるべきだろう。

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2008年4月10日木曜日

Useful Expressions Part 6

  • muscular build 筋肉質の体格
  • homer ホームラン
  • thrift shop リサイクル店、中古屋
  • bargain shopper 安く物を買う人
  • impulsive shopper 衝動買いをする人
  • frigid temperature 凍るような寒さ
  • eject 投げ出す
  • roll over 一回転する
  • flip over ひっくり返る
  • dicey 危険な

2008年4月9日水曜日

Confidence

日本人は英語に自信を持つべきだと思う。日本人の自信を失わせているのは、マスコミや世の中の定説が自信を失わせ、日本人は英語が出来ない、話せないと思わせているだけでないだろうか?近年心理学の観点から英語教育が研究され始めているが、「できると思うこと」や、「気にしない気持ち」、「不安にならない気持ち」がなど感情変数が言語の、特に発話と関係しているのだ。だから、我々のように洗脳されやすい国民は自分たちが出来ないものだと思い込み、そしてaffective filterが高くなるのではないだろうか?

例えば、TOEICに関しても日本人は世界的に低いと言われるが果たして事実だろうか?TOEICはもともと日本で始まった試験であり、海外でのマーケティングはまだ始まったばかり。近年ヨーロッパのEFL学習者も受験しているが、7割近くが日本の受験者だ。おそらく海外でTOEICという認知度の少ない英語試験をうける人はよっぽど英語に自信がある人ではないのだろうか。しかし、日本の場合、会社で強制的にに受験をする人なども含まれる。これらの受験者のやる気やモチベーションの差がありながら、統計の結果を出すこと自体が問題があるのではないだろうか。

日本語は他の言語に比べてあまりにも特殊であることが不利であるように思われるが、ここまで複雑でなおかつシステマティックな言語を作った我々は言語の能力は非常に高いと思われる。しかし、歴史的に、文化的にコミュニケーションの歴史が少なかったのではないだろうか。封建的な社会で我々は発言を統制され、言葉使いを複雑化することにより、本音よりも発言の仕方(form)が進化したために自分の意見を自分の言葉で表現する歴史が他の民族に比べ少なくかっただけだからでないだろうか?

英語力に関しては、文法、読解力、作文力、単語力では世界のどの英語学習者よりも高いレベルにいると思う。唯一低いのはリスニングと発話である。しかし、これは先ほどの歴史的、民族的、社会的な要因が関係しており、それを回復するにはリスニングの練習を増やすことと、会話自体を日本語も含めて積極的に行うべきである。親との会話、先生との会話、近所の人との会話、会話の少ない社会の人が英語だけ会話力が高まるとは思わない。英語をきっかけにもっと人と自信をもって会話をすべきだ思う。

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2008年4月3日木曜日

A good teacher teaches students to teach themselves.

先日ある学校の先生の自宅を伺った際にアメリカの刺繍にされたある引用文が私の目を引きました。それにはA good teacher teaches students to teach themselves.と刺繍されたいたのです。私はこの言葉が言語教育のみならず全ての教育の原点であり教育の究極の方法と思いました。

我々教育者は時にinputをする機械のようになっていることに気づいていません。しかし、inputは自分でもできるのです。素晴らしい本や素晴らしい体験をすれば人は自然に学習していきます。教育とは子孫の生存の仕方を教えることです。親も先生も一生その子を見守り手を貸すことは出来ません。いつか自立をするのです。その自立の仕方を教えるのが教育と思います。

日本ではどうしてもwhatになりますが、本当はhowではないのでしょうか?何を学ぶかではなくて、どのようにして学ぶかをもっと教えるべきだと思います。

英語についてもこのことが言えると思います。週に数回のレッスンだけで英語が身に着くことは残念ながら非常に少ないケースです。私も含めて英語を日本で身につけた人は恐ろしいほどの時間とその独自の学習方法をそれぞれ開発した人たちです。幸運にも学習方法が的を得た人は身に付けている場合がありますが、不幸にもその方法が間違っていたり、自分にあっていなかったりした場合は同じ大量の時間を掛けても大きな成果を得ていない人も私は見ています。

もし、講師や教師が何を教えるかでなくどのようにして生徒が自分で効果的に勉強したらよいかを考えてあげたらもっとよい結果を得れるとおもうのです。たとえ結果がよいものでないにしても、一つの学習方法を身につけた人は、その後の学習や仕事にも応用していくと思うのです。

学び方を教えることは生き方を教えることにもなるのかもしれません。

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2008年3月28日金曜日

Individual Difference

学習の仕方は個人によって異なります。語学についてもこのことは言えるでしょう。同じように学習してもある学習者は短期間で習得し、ある学習者は非常に苦労する場合があります。逆にその苦労した学習者が他の方法で学習した場合、短期間で習得した前述の学習者には受け入れられない場合もあります。

さて、言語の習得という場合、我々は4技能と言いますが本当に言語技能は4技能 - 読む、書く、聞く、話す - しかないのでしょうか?対話であれば、相手の言葉を理解する技能も必要です。そして自分で話すためには思考も必要です。私が思うには言語は6技能 - reading, writing, listening, speaking, understanding, thinking - が必要だと思います。しかし、疑問に思うのは、これらの技能を人間は全員本当にすべて平均的に高いレベルにすることができるのでしょうか?

私は言語の技能は人によって得意分野があると思うのです。それはなぜでしょうか?少しスピリチュアルな話になりますが、人間は何かしらのcalling(天職)があると思うのです。科学的にはgenetic aptitude(遺伝的才能)がある思うのです。人間は平等に作られています。しかし生まれてくる役割はそれぞれ異なります。俳優に生まれた人は話すことを得意とするでしょう。哲学者や思想家、宗教家として生まれた人は考えることが得意かもしれません。科学者に生まれた人は理解をすることが得意かもしれません。作家として生まれた人は書くことが得意かもしれません。もし自分の適した職業が言語とも関係しているならば自分の得意な部分もあるように不得意な部分もあるはずです。

もしこれが正しければ、外国語の習得でも自分の得意な学習方法で学習されるのが効果的でないでしょうか?遺伝子と言いましたが、民族によってはその民族自身が適した能力を持っている場合もあります。たとえば、農耕民族である日本人は狩猟民族のように様々な音を聞き、狩猟や場所の情報交換は必要ありません。情報の交換のための会話よりも集団での秩序と生産性を保つための会話が必要になります。そのためにはマニュアル的な文書も必要になるでしょう。このため我々は読み書きの技能が発展したのではないでしょうか?今でも「読み書き」と言い、これらの技能が最高の技能と日本では考えられていると思います。

日本人が全員読み書きにしか向いていない意味ではありません。そのような特徴があるので、その部分を伸ばすのか、それともそれはむしろ得意だから短時間でも習得できるから他の技能に力を入れるかが問題なのです。

また男女の学習方法の差も考慮に入れることも大切かもしれません。日本の英語教育は読み書きや文法を中心としていましたが、これはもしかすると男性に向いていたからかもしれません。日本では女性が教育を受けれるようになったのはここ3~40年です。女性と男性とでは言語の習得の速度や学習方法が異なるはずです。

自然に習得できる状況にいる場合を除けば、効率の良い学習にはその学習者の得意な学習方法で習得していくことが望ましいでしょう。

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2008年3月21日金曜日

Inductive Teaching VS Deductive Teaching for EFL

inductive teaching(帰納的指導) とは生徒が体験を通して自分が聞く例文などのサンプルからそこに潜むルールなどを見出させる指導方法であり、法則について後で議論したり、講師があとで説明する方法です。以前述べたTask Based Language Teachingがこのコンセプトに基づき考えられていると思います。これに対してdeductive teaching(演繹的指導)は講師がはじめから法則や概念を教えてから使用例などを見せどのように応用されているかを知らせる指導方法である。日本の文法中心の学習方法がこれに近いと思います。

学習には時に効率性を考えることがあります。deductive teachingの方が試験などの結果を出さなければならない場合、より効果的かもしれません。日本のように受験国家では試験という結果を出さなければなりません。そのためには、inductive teachingは非効率的な指導方法に感じられるのかもしれません。またinductive teachingの効果は学習者の洞察力などにより左右されます。意識や観察力の低い学習者は間違ったルールを法則化するかもしれません。その意味では大量に、平等に知的レベルが平均的に高い国民を作るためにはdeductive teachingが効率も効果も高かいのかもしれません。

語学ではどうでしょうか?deductive teachingは決して悪いわけではありません。先にも言ったようにより効率的で目的によっては効果的な指導法です。問題は何を目標にするかです。ペーパーテストでなくてオーラルテストが国の入学試験になれば、話し方のルールをインプットさせ、練習すればそれなりの効果が出るのではないでしょうか?deductive teachingの後のフォローアップが少ないのが問題なのではないでしょうか?

もちろんinductive teaching の良さも見逃せません。知識優先の授業には向かなくても、「考える」または体験して「身体から覚える」必要のある内容にはinductive teaching も積極的に使用すべきだと思います。語学でも基礎が終わればinductive teachingでよいのではないでしょうか?

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2008年3月18日火曜日

Useful Expressions Part 5

  • moist skin しっとり肌
  • one of a kind ユニークな人(物)
  • recluse 引きこもり
  • sideburns もみあげ
  • give headsup 予告をする
  • in a nutshell 一言で言うと
  • go too far やりすぎる
  • close battle 接戦
  • do justice to ~を公平に評価する
  • cross my mind 心をよぎる

2008年3月17日月曜日

Hand down Japanese things in English

一昔前まで、英語=外国語文化でした。つまり、英語を習得し同時に外国の発達した技術・文化を取り入れることが目的とされていました。しかし、今この目的で英語を習得する人はほとんどいないでしょう。
なぜならば、海外の技術文化はすでに日本語として翻訳され日本で独自に発達し、むしろ日本が途上国だった技術でも今日本は先進国にあるからです。

一方逆の文化の流出は進んでないようです。つまり日本文化・技術の継承が英語で行われていない。もちろん、日本の文化は日本語で伝えるべきだと言われる方もいるでしょう。では、私たちは海外の文化や技術を英語で学んだのでしょうか?残念ながら海外には日本で英語を学ぶ人よりもはるかに少ない人しか日本語を話せません。その一部の人が正確に日本の文化や心を伝えているとは限りません。

日本の文化は日本人が守るという時代は終わりました。世界のみんなが日本の良さを知るべきです。そのためには、日本人の普通の人たちが英語で日本の良さを発信していかなければなりません。その目的ができれば、もっと英語への興味を出来てくるのではないでしょうか?

たとえば、社会の先生が外国人に日本の三人の武将について説明する英語を考えてきなさいという宿題を与えても良いのではないでしょうか?書道の先生が英語で外国人に習字をする方法を生徒たちに教えても良いのではないでしょうか?英語の先生は文法を教えなければならないという義務があってこのようなタスク系の授業ができないなら、他の科目の先生にやってみたらどうでしょうか?

日本人という遺伝子を残すことは限度があります。現に少子化で、日本人が少なくなるかもしれません。でも文化は他の文化に継承され生き残り、更には進化をする場合もあります。

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2008年3月15日土曜日

Task-Based Language Teaching

今日テンプル大学のdistinguished lecture でRod Ellis氏のTask-Based Language Teaching(TBLT)の講義を聴いてきた。TBLTは簡単に言えば、英語を使って何か課題(写真を描写する、伝言に対して返事を書くなど)を与えて、学習者がそれを行い自然に英語を身につける方法である。文法・語彙・発音などはその課題の中で最後に指導者がはっきりと、またはそれとなく教える方法である。

TBLTは話すことに主眼が置かれている。つまり英会話学校などでは効果的なアプローチである。Ellis氏も言われていたが、文法中心の精度に重点を置く英語教育には向かない。これを混在させながら使用することは不可能だと言う。その意味では学校英語はこのTBLTを事実上使用できないと言ってもよい。なぜならば、学校英語は文部科学省のガイドライン(文法が学習のターゲット)に沿っており、また受験でも文法を中心とする問題がまだ多いからだ。

言葉には、「話す」という精度よりも即興性を必要とする技術と正確に使用するという二つの部分があるが、それらを一つの学習方法で達成できないのだ。我々も日本語を話すが、「国語」の授業が必要だった。英語も同じだ。話すための効果的な学習方法と精度を極める学習方法は同一のものではない。

TBLTはEFL(外国語としての英語教育)の学習アプローチである。コンテキストリッチな海外では必要がない。つまり外の英語社会がすでにTBLTだからだ、Ellisさんが英語を水泳のように比喩していたが、海外では日常が英語の海だからどんなフォームであれ泳がなければならない。日本には英語という海はない。英語の海で泳がないといけない状況はない(インターナショナルスクールやイマージョンスクールは別だが)。だから教室をプールにしなければならないのだ。でも日本の教室はプールを作らず泳ぎ方やきれいなフォームを研究したり上手な人のフォームを見ているだけ。教室にニセモノでもいいから海を作って生徒に英語の海の泳ぎ方を身体をもって覚えさせなければならない。

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2008年3月11日火曜日

Interest is the driving force behind motivation.

週末、自分の趣味のブログを立ち上げました。もちろん英語と関連しています。英語を学ぶ際に誰もが一度は、興味をなくす場合があります。何故英語を勉強しているのか?たとえ英語を話せることが自分の将来を明るくしてくれるとしても、それだけのモチベーションだけでは英語が続かない場合もあります。

最近特に言われているのは英語で好きなことをすること、これが外国語を長続きさせてくれるということです。「英語は道具であり、目的ではない。」と言う方がいます。私もこの考え方に同意します。何のために英語を学ぶのか。英語で伝えられる音楽の意味が分かるようになりたい。英語を話していろんな国を旅したい。アメリカのメジャーリーグの野球の中継を理解したい。サッカー留学をしたい。海外で釣りをしたい。世界的な科学者になりたい。

つまり、want to do「やってみたい」がないといけないのです。日本人にはcan do「できる」の気持ち、つまり自信が少ないですが、このwant to doが少ないからなのではないのでしょうか?したいことが見つかれば、そのために必要な英語も見えてくるし、英語へのやる気が高まるはずです。英語を上達することを目標とする前に英語で何をしたいかを自分にたずねてみるべきでないでしょうか?

やってみたいことが上級の英語まで必要せずむしろ簡単な表現で沢山、早く話すことを必要とするのであれば、とにかく話すことを強化した方がよいでしょう。自分のしたいことが沢山の本を読むことなら読む力をつけましょう。

興味が目標を具体化させ、そのための学習内容や学習方法まで具体的にしてくれると私は思います。

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2008年3月9日日曜日

KY

昨年KYという言葉が若い人によって使われるようになりました。KYとはKuki Yomenaiの頭文字をとったものだ。当初はKY=Kuki YomeruでNKY=Not Kuki YomeruでNKYがKYの否定形として使われていました。ところが、高校生の間で使われていたこの略語が小・中学生にも使われるようになり、否定形がなくなりYKを否定語句にしてしまいました。

「空気を読む」とは日本などのhigh-contextual(文脈が高い、つまり前後関係を意識してコミュニケーションを行う率が高い)な社会特有の非言語コミュニケーションスキルである。日本以外にもパプアニューギニアやアメリカインディアンなどの社会にも同様の以心伝心的なtelephathetic communicationを使う社会がある。しかし、先進国ではおそらく日本だけである。この技術の必要性は確かにあると思う。しかし、日本社会も二極化、多様化していくと、同じ民族の中でも価値観が多様化し共感できる部分がすくなくなる。このような社会では以心伝心というこれまでのnon-verbal communication skillは使えなくなるのです。おそらく今日本社会は二極化、多様化に向かう中で、子どもたちがすでにその現象に気づき葛藤しているのではないでしょうか?

日本語は確かにhigh-contextualな言語です。敬語、謙譲語など立場や状況に応じて言葉を選び、思いやりという価値感が不快な言葉を避け、状況によっては無言でいることさえ美とされてきました。

しかし、時代の流れ、世界の流れを考えれば、high-contextual社会からlow-contextual社会に入っています。ヨーロッパ社会に代表されるlow-contextual社会では、以心伝心などのコミュニケーションがないため言葉にたよります。その結果、常に話すことが問題の解決、社会の円滑化をもたらすと考えられています。

会話の少ない、ディベートが弱い日本人が今身につけなければならないのは、感情的にならず様々なことを多面的に考え、話し合える力が必要なのではないでしょうか?英語を教える立場として、英語はこの部分で日本語を超えたverbal communication skillを必要とします。英語教育において得られるもう一つの恩恵は言葉で人を理解する力を養うことだと思います。

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Useful Expressions Part 4


  • blackout 停電
  • whiteout ホワイト、修正液
  • loonie カナダドル
  • green buck アメリカドル
  • seasoned 熟練の
  • tech savvy ハイテクに詳しい人
  • geek オタク
  • wannabe ~にあこがれる人
  • come in handy 役に立つ
  • go broke 金欠になる

2008年3月7日金曜日

Bilinguals

英語を学習するなら、だれもがバイリンガルと言う言葉にあこがれるだろう。しかし、バイリンガルといっても定義が難しい。ほとんどの人はバイリンガルと呼ばれるには、両方の言語をマスターした人を想像するかもしれない。実際には、広義の意味では他の言葉で一通りの生活がで出来ればバイリンガルとみなされる。ビジネスや学術的な用語を知っていたり、政治や宗教などの話ができなくてもよいのである。

バイリンガルも第二言語を学習した時期により二種類に分けられる。一つはsimultaneous bilingualsと呼ばれる第一言語の習得と同時に第二言語も習得したバイリンガルである。両親が異なる言語話者、海外で居住し、家庭では第一言語、外では第二言語という場合である。もう一つはsequential bilinguals、これは第一言語をある程度習得した後に他の言語を習得するタイプ。親の海外転勤や移住で母語を話せるようになった後海外で生活をするようになったり、または国内の学校での一貫した外国語教育、留学などを通して2ヶ国語が話せるようになるタイプだ。

またバイリンガルは第二言語を習得したことにより第一言語である母語にどのように影響を与えるかによっても分類される。一つは第二言語を習得したために、母語の能力が低下するsubtractive bilingualsである。このケースは海外に早い時期に移住し、家庭内で母語が話されなくなる場合に多く生じる。これとは反対に、第二言語の習得が第一言語にマイナスの影響を与えないバイリンガルはadditive bilingualsと呼ばれる。このケースは家庭と社会での言語を両立しているバイリンガル家庭やsequential bilingualsで青年期以降に第二言語をマスターし、その後も第一言語と第二言語を学校や社会で常に使う必要性のあるバイリンガルがこのケースに相当する。

日本人全体がおそらく将来バイリンガルになる必要性が生じるかもしれない。その場合、simultaneous bilingualとして幼児期からバイリンガルにするのか、それともsequential bilingualsとして第一言語をちゃんと習得してからバイリンガルにさせるのか、外国語教育は最終的にadditive(+)かsubtractive(-)かという重大な結果を残すだけに慎重に計画的に行わなければならない。

2008年3月5日水曜日

hit the plateau

hit the plateau とは「伸び悩む」と言う意味だ。plateauとは台地を意味するから、つまり坂を上りあがったもののしばらく台地の部分を歩くことになることだ。学習は完全な坂道ではない。歩き続ければ上り続けるものでもない。ある期間、一種の消化期間、あるいは次の上昇のための準備期間になる。

学習者の多くはこの台地部分でスランプを感じたりするものだ。継続は力と言うことわざはこの台地期間を抜け出すための言葉かもしれない。台地期間が永遠に続くわけではない。しかし、台地期間に何か工夫をするとか学習の方法を変えたりすることは大切だ。インプット中心だった人はアウトプットの学習(会話、作文)を多くしたり、アウトプット中心の学習者はインプットの学習(語彙を増やす、本を読む、リスニング練習を増やす)を行ってみる。また学習のタイプではなくて、方向性を変えてみることも一つの方法だ。文法などaccuracyにこだわってきた人は、fluencyを重視し、あまり文法にこだわらなくしてみるとか。またその逆もありえるだろう。

学習も人生と同じでups and downsは必ずある。少し見方や考え方を変えるだけでスランプから脱出できることも多くある。筆者もその様な経験者だ。また自分だけで考えていても見つからない場合があるから、人に聞いたり英語が上手になった人の経験話を読んだりするのもプラスになるだろう。

2008年3月4日火曜日

大人の英会話

大人の英語はどのように学ぶべきか。大人は言語の学習で不利と思われている。それは言語能力が低下するからではない。むしろ言語的な能力(特に知識)は増える時期に入るはずだ。しかし、この知識の構築が時として思わぬ面倒を招く場合がある。つまり知識先行になるため、完璧に話そうとしたり、フレーズなど覚えることが中心となったり、さらに自分の学習方法に執着する。

更に学歴・仕事がプライドを生み出し、会話ができなくなる。つまり、知識が精神的な壁(言語学的にはaffective filterと呼ばれる)を作り出すのだ。その証拠として、プライドがなくなり自分の立場をあまり考えないお酒の場では英語がスムーズに出てくる人も多いはず。このプライドというものを無くすことが大切だと思う。

英会話は英語力の見せ場ではない。英語力はテストや資格で証明できるが、英会話力は人としてのソフトさやコミュニケーション力も関係してくる。このコミュニケーション力を伸ばすことが英会話力を伸ばす鍵になるのではないだろうか。最近の日本では、人が人に声をかけづらくなってきているけど、人に話しかけたりすることが少なくなっているのはプライドが原因になっていたりするのではないだろうか。

高いモチベーションと継続という学習の鉄則は英会話でも大事である。この点は大人の学習者は子どもよりも勝るはずだ。あとは、もっとリラックスして肩の力を抜いて、型にこだわらず話すいい加減さが必要だと思う。accuracy (正確度)がプライドを生み出すのなら、fluency(流暢さ)はその対極にある適当さによってもたらされるでは。

2008年3月2日日曜日

沈黙期(Silent Period)

言語学者や第二言語指導者の間で認められている一つの仮説に沈黙期がある。これは、言語の習得の初期段階における現象で、第一言語でも多く見られる。特に学習者が児童の場合、一定の期間学習者は質問や会話の理解に集中し、応答などをしない現象がる。この期間が沈黙期間silent periodと呼ばれている。

この期間は、子どもはほとんど自発的に会話や応答をせず、強制される場合でも非言語的な方法(ジェスチャーや表情)で答えるぐらいだ。言語は理解から発話になることを裏付ける現象でもある。またこの期間は個人差があり、長い場合は通常の学習者の2倍必要の場合もある。しかし、その後の発話が質の高い場合もあり、沈黙期間が長いことが一概に言語能力が後れていることを示すわけでもない。

外国語学習は将来の経済的な大きな投資でもある。しかしこのような現象も認識し、長い目で余裕を持って、学習すべきである。インプットしたものがすぐにアウトプットするとは限らない。言葉は頭の食事である。栄養がすぐに身体に出る人もいれば、休憩や準備運動をしないとその栄養の効果が出ない人もいる。食事の仕方と同じで、言葉の吸収も人によりペースやスピードが変わる。問題はあせらせて、消化不良を起こさせないことである。


2008年2月28日木曜日

語彙の増やし方

私は語彙が言語の習得で最も大事だと思っている。語彙と言っても単語、熟語、フレーズ、会話表現、コロケーション、慣用表現などのいろいろがカテゴリーで区別される場合があるが、私はつながりや使い方さえ分かれば特に厳格な区別はしなくてもよいと思う。

問題はそれをどのように、そしてどれだけ覚え、実際に使えるかということだ。語彙を増やしても、それがウル覚えでは受動的な言語力しか発達しない。また発音などを無視し、つづりだけで覚えたのでは読解や作文には使えても、リスニングや会話には使用できなくなる。

日本人は受験などで多くの語彙を覚えるはずだ。しかし残念なことにその覚え方がウル覚え、文字との認識だけによる記憶しかない。これが会話やリスニング力を低下させている理由だと思う。会話を重視するなら、語彙を増やす際には音もともに覚えるべきだろう。現在の英語教育では発音記号の読み方を教えれる人は少ない、またそのような学習がALTによって不要とされてきている。

しかし、新しい単語を覚える際には発音を知らなければ覚えられない。幸い、近年の電子辞書の発達により発音を実際の音で確認できるようになり、この点に関しての不安材料は少なくなりつつある。

もう一点、語彙を増やす際の問題点は、その語彙が本当にネイティヴ達が使っているかである。最近ではコーパスと呼ばれる使用例のデータが入手できるようになり、語彙の使用頻度が統計的にわかるようになってきている。このような情報を積極的に利用し使われる語彙だけを優先して覚えさせることが英語教育において重要だろう。

最後にこれは私の語彙の増やし方だが、偶然にもNHKの「英語でしゃべらないと」のキャスターのパックンと同じ方法だったが、紹介したい。

1.会話やリスニングで新しい語彙に遭遇したら、その単語やフレーズをメモる。または携帯などのメモに保存する。単語は英語で意味は日本語でよい。

2.その語彙とまた遭遇するために、その語彙が出てきそうなテレビ、映画、ラジオ、ポッドキャストを聞く。

3.録音をして何度もその発音の仕方、使い方を身につける。

*音声によるリゾースを使用するのは目的が話すためだからだ。もし、英語を書いたり、もっと高度な文を読むために語彙を増やしたいのならば、リゾースを新聞、雑誌、小説に変えればよい。つまり簡単にいえば、話すための語彙作りは聞いて増やす、書くための語彙作りは読んで増やすということだ。

2008年2月27日水曜日

Useful Expressions Part 3

  • hoader 貯めこみや(ごみ山の家の人など)
  • head cold 鼻かぜ
  • winge ぶつぶつ不満を言う
  • pathetic 情けない
  • freak out ビビる
  • leading actor 主演俳優
  • loud (色などが) 派手な
  • be hooked on ~に夢中
  • unplug コンセントを抜く
  • plug in コンセントを差し込む

2008年2月26日火曜日

英語教育の親の役割

先日早稲田大学の名誉教授中島博先生と電話でお話できる機会がありました。中島先生は北欧の教育制度に詳しい方です。先生もスウェーデンには英語を学習しやすい社会的環境(テレビでの海外プログラムが字幕や吹き替えなしで放送されている)があり、それが英語教育の土台になっていることを認めていらっしゃいました。

その話の中で、スウェーデンでは小学校での3年生からの英語授業が1962年から始まっていることを教えていただきました。この1962年からが私は重要なキーワードだと思いました。おそらく小学校3年生からの教育を受けた人たちが一サイクルし親の世代になっていると言うことです。バイリンガル教育において親の役割は重要です。

バイリンガルでは内と外を作ることが理想的なバイリンガル教育なのです。つまり外(社会)が第一言語を使用するなら内(家庭)は第二言語、外が第二言語なら内は第一言語を使い分けることが子どもたちにストレス無く二ヶ国語を話させられるようになるのです。

この外と内の言語の使い分けには親が第二言語ができることが条件となります。おそらく想像できるのは、スウェーデンではすでに親が英語漬けになった第一世代で片言ながら家庭で子どもたちに英語で話しかけているのだと思います。親が外国語で話しかけ、家のテレビで英語も聞ければ子ども達も自分だけが習わせられているという疑問もなく素直に英語に浸り英語を学習しいけるのでしょう。

その子供たちもおそらく結婚が早ければ、すでに次の世代になっているはずです。こうなると三代目はかなりレベルが高くなっていくと思います。言語も3世代まで入れば完全に家族に定着したバイリンガル家庭が可能だと思います。


2008年2月25日月曜日

Creativity is the force of conversation.

昨日は、英検の二次試験のinterviewerを行ってきた。二次試験とは会話力をテストする試験である。英検は長くこの会話テストを二次試験と言う形で3級以上の級で導入しきた。TOEICでも昨年から会話力を判定するテストが開始されたり今、会話試験にスポットライトが当て始められている。

筆記やリスニングという試験は受身の試験であり、認識さえできれば答えが分かる場合が多い。しかし、会話や英作文は自分がcreatする力が試される。一般に受動的な言語能力と自発的な言語能力は必ずしも釣り合ってはいない。受動的な客観テストの場合はうる覚えや勘でも正解は導ける。しかし、production-based testは本当の実力が試される。会話力は読解やリスニングと違い、実力が反映される。

会話の力を高めるには、会話練習が必要だ。しかし、会話の質を高めるには、語彙を増やしたり、発音を正すためのリスニングも必要となる。読解は作文力を高めるためには重要な補強学習になる。全ての言語技術は相互作用しているからどれが不要とは言えない。問題は何を目標とするかである。会話を重視するのであれば、前述のような方法で学習しなければならない。

もう一つ、パターン化されないことも重要だと思う。日本人はパターンに強い。あるパターンを見つけ、その攻略方法をすぐに見つける。しかし、予想外の方法で攻められた場合の対応力がまだ弱い。英会話もパターンにしてはいけない。何が出てくるか分からないと思っておいたほうがよい。会話の危機管理だ。外人と会ったら必ずHow are you?と言われるわけではない。ほかの表現、ただのジェスチャー、無視、日本語で挨拶されたりと人によってどのように出てくるかわかない。面食らわないで、即興で対処する力も必要だろう。

日本人はアニメやお笑いに見られるような意外性、creativityを他の民族より持っているはずだ。ただ古い教育でパターン化された教育を受けたために、リアクションの取り方、話し方が固定化されてしまっただけだと思う。国際的俳優やミュージシャンを沢山排出している。もっとcreativityも磨けば日本人の英会話力は高まると思う。

2008年2月23日土曜日

教育

以前に英語によって所得が変わる話をある弁護士さんの話から抜粋しました。そして私立の学校では小学校から英語を積極的に授業に取り入れていることも書きました。このような現状を考えると、現時点では英語はお金がある人が更に学習できてお金が無い人は勉強できないサイクルになっているようにも感じます。

確かに教育はスポーツ同様、古代から贅沢なものと考えられてきました。近代社会、民主主義になり、だれもが公平に教育を受けれるようになりました。しかし、教育の質が民間と公共で異なれば本当の教育を受けているのか疑問にもたれる方も多くなるともいます。今、学力が巷で騒がれていますが、英語も重要な教育です。

我々は民主主義と同時に市場経済社会の中にもいます。消費者に受け入れられる者が市場を支配していきます。この点で公共教育はその原理から外れるのです。しかし、最近では地域の方が民間のアイディアを公共の教育に取り入れていこうと言う動きも出ています。

教育の定義は現代の複雑な社会では難しくなっています。しかし一ついえるのは、どの動物、生き物にも言えることですが、大人が子どもに教育するのは未来の社会でのサバイバル方法を教えることです。勝ち負けが騒がれる世の中ですが、本当の勝利はサバイバル(どんな状況でも人生を生きる)だと思います。

これからの変化の激しい時代の中で強い日本人のDNA作りの教育が必要なのではないでしょうか?私立や公立と言う次元で考えている場合ではないと思います。昔、まだ社会が小さい時代、近所の大人が子どもたちをみんなで育てました。それはその地域で子どもたちが将来生活し、コミュニティの重要なメンバーになるからみんな真剣におこなったのでしょう。今は、子どもは育ってもその地域を離れ海外にさえ行きます。自分には関係ない子どもに見えるかもしれません。しかし、社会は世界と言う村になっています。我々も世界村に住む先輩として、持っている全ての知恵を絞り様々なネットワークを使い子どもたちに英知をつけさせる必要があるのではないでしょうか?

2008年2月22日金曜日

漢文と英語

明治のころの人は英語を今の人よりも早くマスターできたと言う話を以前聞いたことがある。その人が言うには漢文教育が今よりも積極的に行われていたため、外国語(中国語)の文の作りなどに日本人は精通していたのだという。確かにに中国語は日本語よりも英語などに文法的に似ている。この部分では納得は行く。

漢文を英語の学習の前にやるべきかどうかと言う話は難しい。なぜならば、漢文は日本人が中国語を理解するための独自の学習方法であり、それをマスターした日本人が中国語を話せるわけではない。大昔の人々は中国からの書物を読むことに、その技術を大いに生かせたとは思う。しかし、実際のコミュニケーションが無かった当時は口頭での会話は漢文の技術では通用しないはずだ。残念ながら、この本役的な学習が英語教育にも流用され、長年日本人は英語を読む(自分流)ことはできても、話すことはできなかったのである。

しかし、漢文であれ、他の外国語がどのような文の作りをしていて、日本語よりも多くの音を持つことを英語の学習の前に知っておくことはマイナスになることはない。むしろプラスだとおもう。小学校での総合や国際理解の授業で、このようなプチ言語学的な授業を行うと子どもたちはもっと外国語に興味が出るのではないかと思う。

2008年2月20日水曜日

発音

発音はリスニングと関係しており、以前も書いたように日本人が苦労する学習アイテムの一つだ。ただ発音と言ってもsegmental featuresと呼ばれる母音や子音の音を正しく発音できるかと言う部分とsuprasegmental featuresと呼ばれるストレス(アクセント)、イントネーション、上げ調子・下げ調子、トーンなどの音の部分の二つがある。

全てネイティヴのように近づけることが望ましいが、私個人としてどちらを優先すべきかと聞かれたら、suprasegmentalだと答えると思う。発音が完璧でもストレスの位置や抑揚が異なれば、ネイティヴは認識できない場合が多いからだ。

20年前と異なり、英語圏の人たちも英語を第二外国語として話す人たちの英語に聞きなれている。また世界には数多くの発音の異なる英語が存在することも事実だ。ネイティヴたちもそんな色々な英語を聞くようになり、色々な英語を受け入れられるようになってきている。

ただ、アクセントが異なったり、抑揚がないと全く別の言語に聞こえる。英語は音楽と同じである。ジャズの演奏にいきなりお経が入れば、リズムは狂ってしまうだろう。リズムさえ同じであれば、たとえジャズの演奏で尺八や三味線で演奏してもそのような和洋折衷の演奏も可能だ。

日本人が英語を話すと言うことは、異なるジャンルの音楽がセッションをすることに似ていると思う。尺八で他の西洋の管楽器の音を正確に出す練習をする前に、ジャズのリズムをつかむことのほうが僕は大切だと思う。そのためには音楽をたくさん聴いてリズムを身につけるように、英語学習でもリスニングなどで英語に浸りましょう。

2008年2月19日火曜日

Useful Expressions Part 2

gut feeling 直感
a capital of ~の中心地
mutual friend 共通の友達
have a soft spot on ~に興味がある
diss 非難する
have a chill 寒気がする
I'm telling you. 間違いない。
sleep tight しっかり眠る
in the hindsight 後付で
curl up ちじこもる、家でごろごろする

2008年2月18日月曜日

Sweden

今日は興味があったのでSweden大使館を訪ねてみた。モダンな外装はIKEAなどの北欧のインテリアのセンスがうかがえた。

Swedenは北欧の国の一つである。人口は900万人しかないが、SAAVやVOLVOという車や携帯電話、IT、家具など世界によく知られた企業が多い。また税金が高いが社会福祉の充実度でよく知られている。外国人の留学生でも学費が無料となる。

この自然に恵まれた国のもう一つの知られていない世界的にレベルの高い点が一つある - それは英語力である。Sweden語はスウェーデンの公用語だ。しかし、この国のほとんどの人が英語を流暢に話す。私も昔、BackpackerだったころSweden人に会い、彼らの高い英語力に驚いた。

Sweden語と英語と似ている点が大きな原因だと思うが、最大の貢献者は実はメディアである。Swedenのテレビ番組では英語のまま字幕も吹き替えもしないアメリカやイギリスのテレビ番組が英語で流れているらしい。つまり国全体がメディアを使ってイマージョン(英語漬け)を行っているわけだ。

Swedenからグローバル企業が増え続けるのもSweden人の英語力が背景にあると思う。

2008年2月17日日曜日

Tokyo

今日はTokyo Marathon 2008年の日曜日。東京の中心地を市民ランナー達が今走っています。私も今は東京に住んでいるので、知っていれば参加したかったと思っている。とはいえ走り始めたのはここ一ヶ月、今参加すればすぐにリタイアだろう。ジョギングが継続できればいつかは参加してみたい。

ところで、東京はオリンピックの誘致で石原都知事もがんばっているが、東京は今世界でコスモポリタン(国際都市)としての位置はどのような位置にいるのだろう。国際都市の条件は、世界の人が不自由なく生活できなければいけない。この点で日本人として生活していると、この基準に合格しているのか分からない。英語だけで生活するとこの街に住めるか、一度実験してみたい。しかし、外国人の数が増えていることは確かである。一年に15万人以上の外国人に東京に転入するという。国籍は分からないが、東京には英語だけの情報誌もたくさんある。

日本人は英語を使える機会が少ないから英語が話せないと言う。もし東京に英語しか話せない場所ができたらもっと英語が話せるようになるのでは?石原都知事に東京に英語村を作っていただきたいと思うのは私だけでしょうか?

2008年2月15日金曜日

Studying English pays off.

主宰するスクールの受講生の大学生の方が有名な外資系企業に内定したらしい。うれしいニュースである。もちろん成功の秘訣は本人の人格や能力が大きなファクターだと思うが、その学生がTOEICの900点以上を取得していたことも企業には魅力だったことに違いない。数年前に大学生で英検の1級を合格した学生も日本の大手企業にすぐに内定が決まった。大学生で英検1級やTOEIC900点以上は確かに人事課の目を引くことは間違いない。

先日も書いたようにジャパン・パッシングという日本を回避する世界の動きがある。この一つの原因が日本に英語が話せる人材の少なさだと外資系企業は言う。外資系で働くのであれば英検の2級やTOEICの700程度では仕事に支障が出るだろう。即戦力を要求され本国からの書類や資料に常に目を通さなければならない。確かに仕事のハードさも聞く。しかし、報われるときの報われ方が大きい。まさしく英語と同じだともう。もちろん報われるにはかなりのレベルに達しないといけない。

2008年2月14日木曜日

In bad shape

一昨日風邪(最初はインフルエンザかと思いました)にかかり寝込んでいたのでブログのの書き込みができませんでした。だれでもこの時期は風邪にかかりますよね。特に人と話しをする仕事だと。

体調がすぐれないとき、英語ではI'm in bad shape. と言います。もちろん体調がよければI'm in good shape.です。

英語を英語圏でない国で学ぶことが難しいのは今更書くことではないですが、何より大変なのが間を開けれないことです。たとえ学習者でなくても英語の講師・教師でも英語圏に生活していなければ、常に英語と接していなければ忘れてしまったり、または母国語モードに支配されていきます。

とはいえもちろん母国語モードをくずしてもいけないので、またこの部分も大変なのですが。これは、日本人の講師だけに言えることではありません。ネイティヴであっても、生の英語と触れない時間が長ければネイティヴさが薄れます。

私は毎日必ず最低30分以上英語のRadioやPodcastを必ず聞きます。また1時間以上は英文を読みます。たまに体調が悪かったり、趣味の釣りで人里離れた山奥に入るとこれらの持続練習ができなくなるので勘をとりもどすのに時間がかかったりします(通常は数十分で元に戻りますが)。体調が悪くなると特に第二言語は影響を受けるものです。bad shapeの状態はすべてがbad shapeになります。健康に注意して英語を勉強しましょう。

2008年2月12日火曜日

Useful Expressions Part 1

Useful Expressions でリストした古いリストをこちらにアーカイブとして残しておきます。


  • dicey situation 危険な状態
  • far-fetched こじつけの
  • chicken out おじけづく
  • trade secret 企業秘密
  • pay an arm and a leg 多額の金を払う
  • time ordeal 時間との戦い
  • give a best shot きめる、良いとこを見せる
  • rhetoric 言葉使い
  • catchy 受けそうな、流行りそうな
  • old school way 古いやり方で

2008年2月11日月曜日

Spin-off

 spin-offとは副産物や思わぬ儲けを意味する。最近では映画などで主人公でない人をテーマとして作る映画などにもこの用語を用いる場合がある。日本映画では「踊る大走査線」から出た「交渉人 真下正義」 「容疑者 室井慎次」などがそれにあたる。
語学においてもSpin-offはある。我々は英語を学んでいるが一定のレベル、大抵中級の上の人に多いが、他の外国語が学びやすくなるのだ。ある程度成功を収めたら、2個、3個と連鎖していくのは言語においても同じだ。
英語は特に色々な言語とリンクしている。イギリスの言葉と言えども、ヨーロッパ言語の寄せ集めというか集大成のようなもの。インドヨーロッパ言語に属する言語なら、英語をある程度マスターした人であれば学習がしやすくなる。私もスペイン語を学んだときは学習の応用性だけでなく、言語自体の関連性から英語のスタートよりもはるかに簡単に感じた。
 最近は、英語の汎用性はヨーロッパ言語に限らない気もしている。音素の多い言語の学習において英語の音に慣れ親しんでいる人であれば、それが中国語であっても難しく感じないであろう。
 世界にはマルチリンガルと呼ばれる何ヶ国語も話せる人がいるが、私はこのスピンオフを利用しているのだと思う。ベースとなる一つの外国語をある程度ものにすれば、同時進行でもこのうような恩恵を得れるのではないだろうか。

2008年2月10日日曜日

児童英検

 今日は自分の主催するスクールで児童英検の試験を実施しました。児童英検は(財)日本英語検定協会の実用英語検定のジュニア版です。小学校でも積極的に活用しているところが増えているようですが、まだ英語スクールで受験する児童がほとんどです。
 テストはどうしてもPassive Competence (受動的語学力)の診断しかできない性質があるのでActive Competence(自発的語学力)は別の試験、たとえば面接試験などでテストをするしかないです。ただ、児童の場合は、母国語にしても言葉の発達段階において、受動的能力が最も伸びる時期なので、このようなテストは有効だと思います。現在、Bronze、Silver, Goldの三つのレベルがありますが実用英検ともリンクをしているのでSilverやGoldで英検の5級を受験できるかどうかも分かり英検へのモチベーションの高い児童には良いきっかけとなります。
 また児童英検は合否ではなくスコアで結果が出るので合否によるDemotivation(やる気をなくさせる)や不合格の場合の精神的なダメージも与えないので、プレッシャーのかからないテストであることも魅力です。最近はTOEICが人気がありますが、TOEICも合否でなくスコア診断方式のテストなので受験者が精神的に楽に受験できるのかもしれません。
 私はどんなテストも語学学習者にとって重要だと思います。テストのために英語をすることも、英語を習っていて力試しで受験する人もモチベーションやゴールができることは語学学習にとって大切です。語学は継続やつぎ込む時間が重要なファクターですが、それを支えるのは目標です。試験を目標にすることの論議は別として何かを達成する気持ちは語学にとって大事だと思います。

2008年2月9日土曜日

文字から音へ

 言葉が再度メディアにより変容しようとしている。インターネットは15世紀のグーテンベルグの活版印刷の発明に近い力で言葉の形を変えようとしている。15世紀以前は言葉は全て音により伝えられていた。英語は我々の日本語など絵文字から発展した言語と異なり音で伝えられていた。英語ほど文字のシステムの発展が遅れた言語はない。それが、15世紀の活版印刷と航海時代や植民地化に伴い、印刷物や研究書物、そしてキリスト教の布教により聖書の印刷などが始まり話す言葉とつづりの関係が考えられるようになった。他のヨーロッパで使用していたアルファベットを使用したもののヨーロッパの言語に影響を受け、またイギリスの地域や階級により発音などが異なるイギリスでは単語のつづりもまちまちであった。ある程度の統一が行われていったにも関わらず、活版印刷からまだ600年ほどの英語はそのつづりも矛盾するものが多く多くの英語学習者やネイティヴでさえ読み書きを困難にさせている。
 1990年代インターネットの普及により英語の文字が世界に更に広がることが予想されたが、この数年のPodcastやStreaming RadioやYouTubeなどの音を伴うコンテンツが広がる傾向を見ると英語の文字よりも英語の音の普及のほうが早いのではないかとも思う。私は今の英語学習者は恵まれていると思う。昔は英語の生の音を聞こうとするならば、EFN(現在のAFN)か映画館で映画を見るくらいしかなかった。しかし、いずれも生の一般のネイティヴがどのように話しているかを聞くことはできなかった。しかし今はインターネットで世界の英語、そして様々ななまりなどが聞ける。
 英語のように音から発展した言語の学習には音から学習するのが一番良い。文字から発展した日本語を話す我々はつい文字から入るが、まず音から。このよな英語を学習しやすい環境ができたことはインターネットのすばらしい一面だと思う。

2008年2月8日金曜日

学校英語

 学校の英語はいつも批判を受けます。それは仕方がありません。公共の外国語教育は国の政策を反映するのです。外国語教育を効果的にすることは、ブレイン・ドレイン(頭脳流失)やその言語のアイデンティティ喪失を助長する可能性もあるからです。二ヶ国語を公用語とするカナダでさえ、ケベックでは英語を話さないし、他の省ではフランス語を話せる人は少ないのです。それは、各省の自立性や経済的な交流を受け入れない部分があるからです。カナダ人で二ヶ国語を話せる人は、私立のイマージョン・スクールや語学スクールで英語やフランス語を習っています。国の語学政策で成功した例はほとんど聞いたことはありません。日本人の英語力が常に過小評価されていますが、公共の英語教育と、行き過ぎの英会話スクールのコマーシャリズムに原因はあると思います。
 本当の語学教育は質の良い語学スクールや私立の語学を教育の方針として掲げている教育機関でしか成しえません。私立の学校では非常に進んだ英語プログラムを揃えているところが多くなっています。近年中学受験をする小学生が多く、私立の中学に入る方も多いですが、公立の小学校から私立の中学に入った場合、付属の小学校がある場合にその小学校ですでに良質の英語教育が行われているため、中学に入った時点で英語で遅れを取っていると言う話も聞きます。また私立の小学校では英会話などを充実させています。来年から海外の大学の設立の基準が緩和され、海外の大学と日本の大学で日本の学生の獲得合戦が始まります。海外の大学に入るほうが外資系への就職、海外就職などを考慮に入れると有利と考える日本人も増えるはずです。ブレイン・ドレインを恐れる場合ではないと思います。現にインドなどの学生は海外に留学しても、多くがインドに戻っててきています。海外で色んなことを学ばせて将来日本に還元してくれるだろうと考えれる太っ腹教育をすべきだと思います。

2008年2月7日木曜日

Modern EFL Approach

80年以降アメリカの言語学者Krashenという教授がナチュラル・アプローチを提唱しました。現在これがコミュニカティブ・アプローチと発展し世界の英語教育で主流の教授法とされています。それまで(100年以上も前)の第二外国語授業は、言語は一種のフォーマットつまり文法などに従い、後は単語をインプットして文を作れるようになれば会話ができると信じられていたのです。この方法は現代では“学習”と位置づけられ、高いIQを持つ人々には受け入れられるものの、普通の外国語学習者には向いておらず、効果も一部の人にしかありません。日本の英語教育は今日もこれに近い方法を行っている場合があります。その後1940年代Ladoなど行動主義者が言語も運動などと同じで、反復練習によって習得できると提唱し、オーディオ・リンガル・メソッドが普及しました。多くの大手英会話スクールでこの方法が採用されていました。英会話教材の中にはこのメソッドを使ったものまだ多く出版されています。音声面の練習が多く、日本人にとっては重要な練習も行えるのですが、インタラクティブでないこの授業は機械的で興味を持ちづらい。また反射神経などの運動的な能力も必要とするため、このような能力を多く備えていない人は自分が言語の才能がないと思ってしまうなど欠点も多く現代では言語学者から嫌われています。そしてKrashenのCommunicative Approachが出てきたわけです。私は、Krashenを80%指示するInnatist(生得主義者)に近い考え方を持っているので、英語は早い時期から第一言語の習得に似た方法で教えるのが一番良いと考えています。しかし、先にも述べたようにIQの高い人には文法中心の英語でも十分効果があります。また運動神経や記憶力が高い人にはオーディオ・リンガル・メソッドもインタラクティブな授業も加えれば効果はあると思うのです。しかし、ほとんどの人は天才でもスポーツ選手でもないのです。学者やアスリートのような方法で英語が習得できるとは限りません。普通の人がナチュラル(自然)に言葉をみにつけるのであれば、その自然に身につける方法を研究するのが指導者の責任だと思います。

2008年2月6日水曜日

発音の化石化(fossilization)予防

日本人が英語で苦戦する理由の一つが発音です。音素の数で日本語は英語より少ないことは良く知られていますが、発音方法や単語の音節の作り方が異なる点も挙げられます。たとえば、日本語のほとんどがopen syllable (言葉が母音{アイウエオ})で終わる)のです。このためbreadはブレッド(breado)speakがスピーク(speaku)といわゆるカタカナ発音と呼ばれるような発音になってしまいます。英語にもopen syllableの単語はないわけではありません。See do, go, no, tree, to, zooなど。しかしその数は限られており、ほとんどがclosed syllableです。ネイティヴのような発音にするには、open syllableでない言葉は母音を入れないで最後を子音の音だけで発音するように心がけましょう。意識をするだけで発音のfossilization (化石化)が防げます。

2008年2月5日火曜日

Super Tuesday

 今日火曜日はアメリカでは大統領予備選挙の集中日となり、super Tuesdayと呼ばれる日です。super はもちろん凄いことを意味しますが、今回は予備選を行う州も多く、民主党のヒラリー・クリントンとブロッコ・オバマの壮絶な争いなどからmega Tuesdayとも呼ばれています。開票結果に関心が寄せられます。このmegaという言葉もアメリカ人は良く使う言葉です。おなじみのマックのmaga macからmegaの大きさが感じ取られますね。

 もちろん予備戦だけではアメリカの大統領が誰になるかはまだ分かりません。アメリカの中西部や南部には保守的な共和党支持者も多く、変化を求めるオバマ氏支持者がその層を超えるほどいるのかは海を越えた日本では感じとれません。

 アメリカは今経済的に苦しい状態に入っています。しかし、オバマ氏のような市民の立場に立つ若い政治家が出てくるところに、アメリカの人材力のポテンシャルの高さを感じます。日本は資源も何も無い国です。人材力だけは他の国に負けないようにしてほしい。それはこれまでの学力の高さだけでなく、変化を恐れないチャレンジャー的な人材が必要だと思います。 
 
しかし、オバマ氏が大統領になれば更にJapan passingが進むと予測されている方も多いので日本も厳しい状況ですね。

2008年2月4日月曜日

Japan Passing

 昨日NHKのNHKスペシャル 日本とアメリカ2「ジャパン・パッシング“日本離れ”との闘い」を見た。我々の知らないところで、日本の経済的な地位が危険な状況になっている。日本は食料と資源において世界に依存している事実がある。しかし、反面日本と言う自国のマーケットは外国に相変わらずOPENにしていない。そのため、外資系企業は日本に進出できず、その結果経済だけでなく教育においても本当の国際化ができない環境になっている。一昔前は国際人イコール海外へ行く人と言う公式が成り立っていたが、海外への旅行者も減り益々海外との接触が少なくなってきているのではないだろうか?たしかにネット社会により海外の情報はクリックするれば手に入る世の中になったが、生の異文化の交流がどれほどできているのか疑問だ。特に国内において。欧米などの外貨が円に対して強くなり日本には多くの外国人が訪れている。日本に住む外国人も増えている。しかし、欧米の会社が日本を避けて中国や他のアジアに行ってしまうのは寂しいことだ。番組中でも言われていたが、もう一つの要因は英語を話せるスタッフが探しにくいと言う問題があるらしい。日本でアメリカの企業ですぐに働けるような人が育たないのは実用的な英語指導が行われていない証拠である。日本再生には英語は不可欠。日本に外国企業を入れ、外国人観光客を呼び、Japan-madeの質の良いものを彼らにそして海外に売っていくには本当に使える英語が求められていることを実感した。

2008年2月3日日曜日

英語力の高さが所得に直結する

 小学生の保護者の方にまず知っていただきたいことがあります。それは、英語を話せるか話せないがで、所得に差がつき得るということです。英語が話せる人は 高所得者であることが多い。理科や国語、算数などは、その能力の高さが必ずしも所得の高さに結びつくとは限りません。幸いなことに英語は頭がいいとか悪い とかに関係なく、努力をすれば誰でもできるようになります。数学はそうはいかない。ある種の才能が必要です。できる人とできない人ができてしまう。努力次 第で誰もができるようになり、しかも将来の高収入に結びつく可能性が高いのが英語です。英語ができる人とできない人では、収入に差がつく可能性が大いにあ ることを子供に具体的に説明し、情報として開示すべしと思っています。
 いま、情報と言う言葉を使いました。織田信長は「法螺貝が鳴ったとき、戦 いの六割は決まっている」という言葉を残しています。戦いの前の情報収集がいかに大切かを知っていたからです。現在私たちが手に入れる世界の情報は、英語 で発信されたものが圧倒的に多い。ビジネスにせよ、研究にせよ、世界で一番新しい情報を一日も早く、数多く手に入れることが勝負の分かれ目です。英語の情 報にアクセスできない人は、アクセスできる人に比べて格段に情報量に差がついてしまう。それが所得に直結する。英語抜きの情報で勝負しても勝ち目はうすい でしょう。
 英語は、努力すれば誰もができるようになる、と述べました。もう一つ「持続力」がマスターするためのカギです。「字統」「字訓」「字通」の字書三部作で著名な白川静さんは、これらを執筆したのが73歳。和漢の古典を生涯かかって勉強し続けてきた持続力の結晶です。
  世界中から新しい情報が飛び込んでくる時代です。英字新聞を読みこなせ、英語の放送が聞け、英語で論文が書けるレベルまで英語能力を高め、自家薬籠中のも のにする必要があります。これは容易なことではありません。しかし、日本では簡単に考えすぎ、英語の重要性が軽視されている。中学校の先生は英語の知識は 豊富でも、それが必ずしも実際の運用につながっていない。明治以来何の反省もないと言っていい。小学校から英語を勉強するのでは遅すぎます。幼稚園の時か ら、英語を教えるべきだと思います。
執筆者:升永英俊氏 - 東京都生まれ、ワシントンDC、ニューヨーク州の弁護士(日本英語検定協会「Jr. STEP NEWS」12月号から)