2009年9月11日金曜日

独学と共同学習

学習方法は人それぞれ異なります。しかし、言語学習については、独学は他の教科と異なり効果が少ないのは確かです。

独学が語学学習に向いていない理由は以下の点です。

1) 継続できない
言語学習にとって継続は非常に大切な要因です。すぐに効果の現れない言語の学習だからこそ継続が必要です。一人で勉強するということは非常に意志が強くなくてはできません。人間は意志が弱い動物です。決めたことを最後までやりとおせる人はほとんどいないのが事実です。
2) 癖がついてしまう
一人で勉強するということは、間違えへの指摘、たとえ指摘されなくても自分が他と異なった話し方をしていることに気づかないものです。
3) 教材などの選定を間違える可能性がある
語学学習にとって大切なものは材料です。外国語を学ぶには自分のレベル+1程度の教材を選ぶことが大切です。無理にハードルを上げることは学習にならず、またレベルの低すぎる教材は脳への負荷が少なすぎるため学習になりません。膨大な教材が入手できる現代において自分で教材を探すことはコストもまたかえって時間もかかるものです。
4) コミュニケーション能力が伸びない
言語を習得することは単語を覚えること、文法を覚えることが中心ではありません。自分の言いたいことを伝えることです。一人で学習する場合、自分の言いたいことが相手に通じていることが確認できません。また外国語であれば、文を単語と文法によって組み立てても、それがたとえ文法的に正しくてもネイティブに通じない、またはネイティブであればこのように言うことが一人では分かりません。
5) 独学は学習であり、習得にはならない
独学は記憶をベースとした“学習”であり、体から身につける“習得”とは異なるものです。言語、特に会話、話すと同時に聞くという作業は、運動であり、スポーツのように体験でしか身につけることができません。独学では体験することはほとんど不可能であり、言語の習得が起こらない可能性が高いのです。

さて、独学に対して“共同学習”がありますが、共同学習といっても中には独学に似たような状況があります。それは集団で学習していてもインターアクションが少ない授業です。この学習はこれまで多くの科目で行われており、社会などの知識の伝達を行う授業ではそれなりの効果はあります。しかしながら、語学に関しては集団で学習することは必ずしもインターアクションがあることを意味しません。講師が生徒とインターアクションし、また生徒間でインターアクションを行うことが言語習得には必要なプロセスとなります。

近年共同学習=Cooperative Learning(CL)が語学教育において注目を浴びているのは、独学の正反対にあるこのアプローチが独学のマイナス点を補ってくれるからだと思います。

2009年4月24日金曜日

Ecological Perspective

前回の投稿から半年も過ぎていたことに気づきませんでした。たしかに、公私において一番忙しい半年でした。約2年間の大学院でのTESOLと言語学の研究がようやく先週ようやく終了いたしました。この2年間、最新の言語習得の様々な理論と言語学習の方法論を学びました。理論的な部分が多いものの、既に17年の指導経験のあった私にとっては集大成となる啓発的な経験となりました。今後の自分の指導、言語への見方が変わるすばらしい経験ができたと思います。世界的に権威のある言語学者や実践的な立場にいる言語指導者の方々のコースや講義を聞けたことは至福の時間でした。学術的な刺激を受けれたことで、自分の中で何かが新たに生まれつつあることを感じています。このような現象も言語の習得同様環境によるemergenceと言えるでしょう。これが学習であり、取得の一プロセスなのです。この2年間の大学院での経験は明らかに私に新たな学習のaffordanceを与えてくれたと思います。

近年第二言語習得(SLA)の見方にこのような環境による影響から人は学習し、言葉を身につけると考える見方が現れています。これはecological perspectiveと呼ばれ、van Lier やKramschなどの社会言語学者の提唱する言語取得・調査への新たな観点です。ベースとなっているのはLarsen-Freemanが支持するcomplextiy theory(複雑性理論)です。

ChomskyやKrashenなどの生得または外的な要因だけに視点をおいた学習や習得の理解には限界があります。それらの視点からだけでは内在化の説明はできないのです。我々が言葉をマスターできるのは、文法が分かることでも、たくさん読んだり、聞いたりするからでもなく、それらもひとつのaffordanceとしてnoticing「気づき」のためのひとつの関係作りに利用することでしかないのです。ecological pespective は今までのinputやoutputを超越した形のaffordanceを言語のもうひとつの重要な要因であるnocitingやattentionと呼ばれる認知と結びつけているのです。affordanceは学習者と環境の良好な関係によって生み出されます。つまり言語の学習環境においてはaffordance自体が存在するか、またはaffordanceが豊かが成功の鍵となりえます。

文脈性のない機械的で人工的なinputを提供するのではなく、その学習者の環境にとって意味あるaffordanceを満ち溢れるようにすることこそ我々言語教育者の今後のテーマとなると思います。