2008年2月23日土曜日

教育

以前に英語によって所得が変わる話をある弁護士さんの話から抜粋しました。そして私立の学校では小学校から英語を積極的に授業に取り入れていることも書きました。このような現状を考えると、現時点では英語はお金がある人が更に学習できてお金が無い人は勉強できないサイクルになっているようにも感じます。

確かに教育はスポーツ同様、古代から贅沢なものと考えられてきました。近代社会、民主主義になり、だれもが公平に教育を受けれるようになりました。しかし、教育の質が民間と公共で異なれば本当の教育を受けているのか疑問にもたれる方も多くなるともいます。今、学力が巷で騒がれていますが、英語も重要な教育です。

我々は民主主義と同時に市場経済社会の中にもいます。消費者に受け入れられる者が市場を支配していきます。この点で公共教育はその原理から外れるのです。しかし、最近では地域の方が民間のアイディアを公共の教育に取り入れていこうと言う動きも出ています。

教育の定義は現代の複雑な社会では難しくなっています。しかし一ついえるのは、どの動物、生き物にも言えることですが、大人が子どもに教育するのは未来の社会でのサバイバル方法を教えることです。勝ち負けが騒がれる世の中ですが、本当の勝利はサバイバル(どんな状況でも人生を生きる)だと思います。

これからの変化の激しい時代の中で強い日本人のDNA作りの教育が必要なのではないでしょうか?私立や公立と言う次元で考えている場合ではないと思います。昔、まだ社会が小さい時代、近所の大人が子どもたちをみんなで育てました。それはその地域で子どもたちが将来生活し、コミュニティの重要なメンバーになるからみんな真剣におこなったのでしょう。今は、子どもは育ってもその地域を離れ海外にさえ行きます。自分には関係ない子どもに見えるかもしれません。しかし、社会は世界と言う村になっています。我々も世界村に住む先輩として、持っている全ての知恵を絞り様々なネットワークを使い子どもたちに英知をつけさせる必要があるのではないでしょうか?