2008年3月9日日曜日

KY

昨年KYという言葉が若い人によって使われるようになりました。KYとはKuki Yomenaiの頭文字をとったものだ。当初はKY=Kuki YomeruでNKY=Not Kuki YomeruでNKYがKYの否定形として使われていました。ところが、高校生の間で使われていたこの略語が小・中学生にも使われるようになり、否定形がなくなりYKを否定語句にしてしまいました。

「空気を読む」とは日本などのhigh-contextual(文脈が高い、つまり前後関係を意識してコミュニケーションを行う率が高い)な社会特有の非言語コミュニケーションスキルである。日本以外にもパプアニューギニアやアメリカインディアンなどの社会にも同様の以心伝心的なtelephathetic communicationを使う社会がある。しかし、先進国ではおそらく日本だけである。この技術の必要性は確かにあると思う。しかし、日本社会も二極化、多様化していくと、同じ民族の中でも価値観が多様化し共感できる部分がすくなくなる。このような社会では以心伝心というこれまでのnon-verbal communication skillは使えなくなるのです。おそらく今日本社会は二極化、多様化に向かう中で、子どもたちがすでにその現象に気づき葛藤しているのではないでしょうか?

日本語は確かにhigh-contextualな言語です。敬語、謙譲語など立場や状況に応じて言葉を選び、思いやりという価値感が不快な言葉を避け、状況によっては無言でいることさえ美とされてきました。

しかし、時代の流れ、世界の流れを考えれば、high-contextual社会からlow-contextual社会に入っています。ヨーロッパ社会に代表されるlow-contextual社会では、以心伝心などのコミュニケーションがないため言葉にたよります。その結果、常に話すことが問題の解決、社会の円滑化をもたらすと考えられています。

会話の少ない、ディベートが弱い日本人が今身につけなければならないのは、感情的にならず様々なことを多面的に考え、話し合える力が必要なのではないでしょうか?英語を教える立場として、英語はこの部分で日本語を超えたverbal communication skillを必要とします。英語教育において得られるもう一つの恩恵は言葉で人を理解する力を養うことだと思います。

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