2008年5月10日土曜日

Who is the language to communicate with?

GWでしばらく間があきました。これから少し忙しくなるので頻繁に投稿はできないかもしれません。

自分は英語の研究をしているので日本語、特に漢字にはあまり興味がないのですが、先日NHKのある番組を見ていて白川静氏(前立命館大学名誉教授)という人のことを知りました。白川氏は漢字学者で2年前に96歳の年齢で亡くなられている。白川氏は漢字の成り立ちを研究されたかただが、ユニークなのは漢字の成り立ちに於いて宗教的、呪術的なものが背景にあったと主張した。多くの批判があったものの、白川氏によって先鞭がつけられた研究は、古代中国史における呪術性を重視する研究者たちに引き継がれ、発展を遂げている。

つまり、白川氏は漢字は神との対話として使われ発達したと解釈している。私は英語を研究していて言語はコミュニケーションのために使うのもだと考えてきた。それは人と人が何かを伝えるものだと信じてきたからである。言語が神との対話のものであると言う説は受け入れない反面、なぜか納得できるところもある。それは人は対話を誰かとしたいと言う思いが強いという証明なのではないでしょうか?

話は言語学になりますが、private speechとは独り言、または脳内で行われる見えない別の人物との対話であり、私はこの会話が第二言語の習得にも必要だと思っているが、神との対話とはこのprivate speechが発展してものでないだろうか?宗教家であれば自分の疑問や悟りのための対話を見えないスピリチュアルな存在と対話を行うだろう。

文字以外でも人間は見えない何かと対話をしたい願望があるようにも思える。例えばナスカの地上絵。何の目的として書いたのかいまだ謎だが、これも人間がprivate speechから発達させた見えないものとの対話への願望の証なのではないだろうか?NASAが宇宙探索をする目的の一つには地球外生命体の確認もあるらしいが、これも見えないものの一つである。

コミュニケーションのための言語、しかしその相手は言葉により、人により相手は様々ということになるのでしょう。言語は見える相手だけでなく見えない相手へのメッセージを送る手段としても使われるいうことでしょうか?今こうしてブログを書いていて思うのは、私も誰か見えないコンピューターの先の人と対話をしようとしているということです。

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