前回の投稿から半年も過ぎていたことに気づきませんでした。たしかに、公私において一番忙しい半年でした。約2年間の大学院でのTESOLと言語学の研究がようやく先週ようやく終了いたしました。この2年間、最新の言語習得の様々な理論と言語学習の方法論を学びました。理論的な部分が多いものの、既に17年の指導経験のあった私にとっては集大成となる啓発的な経験となりました。今後の自分の指導、言語への見方が変わるすばらしい経験ができたと思います。世界的に権威のある言語学者や実践的な立場にいる言語指導者の方々のコースや講義を聞けたことは至福の時間でした。学術的な刺激を受けれたことで、自分の中で何かが新たに生まれつつあることを感じています。このような現象も言語の習得同様環境によるemergenceと言えるでしょう。これが学習であり、取得の一プロセスなのです。この2年間の大学院での経験は明らかに私に新たな学習のaffordanceを与えてくれたと思います。
近年第二言語習得(SLA)の見方にこのような環境による影響から人は学習し、言葉を身につけると考える見方が現れています。これはecological perspectiveと呼ばれ、van Lier やKramschなどの社会言語学者の提唱する言語取得・調査への新たな観点です。ベースとなっているのはLarsen-Freemanが支持するcomplextiy theory(複雑性理論)です。
ChomskyやKrashenなどの生得または外的な要因だけに視点をおいた学習や習得の理解には限界があります。それらの視点からだけでは内在化の説明はできないのです。我々が言葉をマスターできるのは、文法が分かることでも、たくさん読んだり、聞いたりするからでもなく、それらもひとつのaffordanceとしてnoticing「気づき」のためのひとつの関係作りに利用することでしかないのです。ecological pespective は今までのinputやoutputを超越した形のaffordanceを言語のもうひとつの重要な要因であるnocitingやattentionと呼ばれる認知と結びつけているのです。affordanceは学習者と環境の良好な関係によって生み出されます。つまり言語の学習環境においてはaffordance自体が存在するか、またはaffordanceが豊かが成功の鍵となりえます。
文脈性のない機械的で人工的なinputを提供するのではなく、その学習者の環境にとって意味あるaffordanceを満ち溢れるようにすることこそ我々言語教育者の今後のテーマとなると思います。
2009年4月24日
2008年10月18日
Evolution of Language
1859年のダーウィンの種の起源説により人類の進化が解明されたが、依然人間の言語の進化は謎に包まれている。先日NHKの番組(2008年10月12日9:00~9:50)を見た。それは、読字障害についてだったが、病気の謎から人類の進化を謎説くものだった。
ご存知の方も多いだろうが、脳は左半球、右半球に別れ、左脳が言語をコントロールしている。特にWernicke's area(ウェルニック野)とBroca's area(ブローカ野)が言語のプロセスに深く関係している。上ウェルニック野は聴覚と信号を感知し、ブローカ野に伝えられ意味に解析される。文字の場合は視覚野を通った後39/40野を通りここで、文字が音へと変換される。読字障害の人はこの39/40野での文字から音への変換が困難となるらしい。
しかし、人類が文字を発明したのは、人類の長い歴史の中ではつい最近のことである。言葉は1,600,000年前に話され始めたと言われていますが、文字はメソポタミア文明の時代(今から5,000年前ぐらい)になる。そして、活版印刷(600年前)が発明され、産業革命(200年前)以降我々は膨大な文字を毎日見ている。そして10年ほど前、インターネットの普及により更に我々は毎日文字を見ることが多くなっている。言葉は長い年月をゆっくりと時間をかけながら進化した一方で文字の浸透は急速だった。人間が文字の進化についてきていけていないのかも知れない。
我々の脳は進化の過程で言語に適した領域(ウェルニック、ブローカ)を獲たものの、文字の処理のための領域は特に獲ていない。39・40野は文字の認識の領域ではなく、本来は視覚、聴覚、体性感覚などの領域であり、そこを使っているだけなのだ。
この領域はスポーツや音楽などと同じように個人差がある部分だ。この領域が発達していないからといって劣っているわけではない。読字障害者の場合、この部分が弱い分、右脳で図形や通常の人が持っていない能力を発揮することが分かっている。39・40野も実は人間が道具を使うようになり発達した部分なのだ。この部分を強めるには、視覚や身体を使う練習が効果的であるようだ。
外国語学習で、特に早期の学習でTPR(Total Physical Response)が言語の学習にとって効果的なのは39・40野を活性するからかもしれない。また児童は絵本やカードの使用が良いのもこのことと関連性があるかもしれない。日本人が欧米人に比べて読字障害者が少ないのは、漢字が視覚的な情報となり39・40野を活性させているからなのではないだろうか。
文字を導入する前に、視覚や体性感覚を強めておくことも言語の習得にとって必要な条件なのかも知れない。
ご存知の方も多いだろうが、脳は左半球、右半球に別れ、左脳が言語をコントロールしている。特にWernicke's area(ウェルニック野)とBroca's area(ブローカ野)が言語のプロセスに深く関係している。上ウェルニック野は聴覚と信号を感知し、ブローカ野に伝えられ意味に解析される。文字の場合は視覚野を通った後39/40野を通りここで、文字が音へと変換される。読字障害の人はこの39/40野での文字から音への変換が困難となるらしい。
しかし、人類が文字を発明したのは、人類の長い歴史の中ではつい最近のことである。言葉は1,600,000年前に話され始めたと言われていますが、文字はメソポタミア文明の時代(今から5,000年前ぐらい)になる。そして、活版印刷(600年前)が発明され、産業革命(200年前)以降我々は膨大な文字を毎日見ている。そして10年ほど前、インターネットの普及により更に我々は毎日文字を見ることが多くなっている。言葉は長い年月をゆっくりと時間をかけながら進化した一方で文字の浸透は急速だった。人間が文字の進化についてきていけていないのかも知れない。
我々の脳は進化の過程で言語に適した領域(ウェルニック、ブローカ)を獲たものの、文字の処理のための領域は特に獲ていない。39・40野は文字の認識の領域ではなく、本来は視覚、聴覚、体性感覚などの領域であり、そこを使っているだけなのだ。
この領域はスポーツや音楽などと同じように個人差がある部分だ。この領域が発達していないからといって劣っているわけではない。読字障害者の場合、この部分が弱い分、右脳で図形や通常の人が持っていない能力を発揮することが分かっている。39・40野も実は人間が道具を使うようになり発達した部分なのだ。この部分を強めるには、視覚や身体を使う練習が効果的であるようだ。
外国語学習で、特に早期の学習でTPR(Total Physical Response)が言語の学習にとって効果的なのは39・40野を活性するからかもしれない。また児童は絵本やカードの使用が良いのもこのことと関連性があるかもしれない。日本人が欧米人に比べて読字障害者が少ないのは、漢字が視覚的な情報となり39・40野を活性させているからなのではないだろうか。
文字を導入する前に、視覚や体性感覚を強めておくことも言語の習得にとって必要な条件なのかも知れない。
2008年9月10日
Speaking L2 is a Cogntive Lifesaver?
2ヶ国語を話す児童が1ヶ国語しか話さない児童よりも高い知能を身につけることは最近の研究で証明されてきている。このことは、逆、すなわち高齢者の痴呆症との関係においても深い関係があるらしい。
あるカナダの研究グループが、高齢者の二ヶ国語を話す人たちと、一ヶ国語しか話さない人たちの痴呆症になる傾向を調査したところ、二ヶ国語以上を話す老人たちは一ヶ国語しか話さない人たちよりも痴呆が始まるのは、平均4年も遅かったことが報告されている。
人間の言語のメカニズムは依然解明されていない状況である。我々は言葉を覚えるのは、音と意味をつなぎ、それが経験や行動を通して、神経生理学的に脳神経に自己組織化されていくと考える人がいる。またある考え方の人は、言葉はコンピューターのようにシステムがありそれがある記憶した情報を文法という構造により文章化するという言う。どれが正しいかは別として、別の言語により経験や記憶が二つの領域において処理されていれば、その処理能力あるいは、記憶の維持はひとつで処理している場合よりも優れる可能性は高いかもしれない。
あるカナダの研究グループが、高齢者の二ヶ国語を話す人たちと、一ヶ国語しか話さない人たちの痴呆症になる傾向を調査したところ、二ヶ国語以上を話す老人たちは一ヶ国語しか話さない人たちよりも痴呆が始まるのは、平均4年も遅かったことが報告されている。
人間の言語のメカニズムは依然解明されていない状況である。我々は言葉を覚えるのは、音と意味をつなぎ、それが経験や行動を通して、神経生理学的に脳神経に自己組織化されていくと考える人がいる。またある考え方の人は、言葉はコンピューターのようにシステムがありそれがある記憶した情報を文法という構造により文章化するという言う。どれが正しいかは別として、別の言語により経験や記憶が二つの領域において処理されていれば、その処理能力あるいは、記憶の維持はひとつで処理している場合よりも優れる可能性は高いかもしれない。
2008年8月31日
Phonological awareness is what all children need first
児童の英語学習でもっとも大切なのことは音声の認識力を養うことです。大人に比べて一般的に音声に対して柔軟な感性をもつ児童は音素を拾うことに苦労することは少ないと言われています。しかし、正確に正しい音素を認識させることと、それが認識されていることを確認することは音素を教える指導者や親の責任だと思います。
インプットが少ないEFLの環境において音素を聞いてもそれを模倣したり、定着させる機会が少ない場合学習者が自然に偶発的に身に付けていくことは非常に難しく思えます。また間違った音を聞くことも音素を学ぶ重大な機会に大きな影響を与える可能性があります。
ネイティブの講師が児童教育で依然重視されているのはこの点にあると思います。日本人の講師でも英語の正確な音素をインプットとして与えることができる指導者も多くいます。しかしながら、できない日本人講師が多いのも事実です。これは、日本人の講師自体に英語の音素をすべて認識していない講師もいるからです。英語の音素は44あり、日本語は50音といいますが、音素自体は20音素しかないのです。このため、音素へ認識の少なさは発音や、英語のつづりの指導にも影響が生じます。
児童の英語にとって必要なのは、英語を書くことや読むことでもありません。会話のために絶対必要となる音素を身に付けるためなのです。これは音楽の指導とにています。最終的に楽器が演奏でき、譜面を読めるようになることが目的でも、絶対音階が身についていない人は音楽の演奏や歌うことが上手くできないことと似ています。
そしてこの絶対音階も英語の44音素の認識も人間は早期においてしか容易に習得できないのです。(容易にという意味は、高いモチベーションと苦労があればだれでも身に着けれるということです。)
英語は音素が他の言語(平均31音素)よりもさらに多く、上述にように日本語の2倍の音素数を保持します。よく言われる英語耳とはこの44音素を聞き取れる耳ができるかなのです。
大人の方でどんなに英語が読めても、単語を知っていても、いざリスニングや会話になると聞き取れない、または意味を取り違えるなどのミスコミュニケーションが起こるのは発音や音の認識が少ないためとも考えられています。音をコード化するためには、コードを知っているだけではだめなのです。音をまず覚えなければなりません。英語の場合は音があって、それをコード(文字){残念ながら無秩序コードルール}にしたため、音の認識がこの言語の必要条件となっているのです。
インプットが少ないEFLの環境において音素を聞いてもそれを模倣したり、定着させる機会が少ない場合学習者が自然に偶発的に身に付けていくことは非常に難しく思えます。また間違った音を聞くことも音素を学ぶ重大な機会に大きな影響を与える可能性があります。
ネイティブの講師が児童教育で依然重視されているのはこの点にあると思います。日本人の講師でも英語の正確な音素をインプットとして与えることができる指導者も多くいます。しかしながら、できない日本人講師が多いのも事実です。これは、日本人の講師自体に英語の音素をすべて認識していない講師もいるからです。英語の音素は44あり、日本語は50音といいますが、音素自体は20音素しかないのです。このため、音素へ認識の少なさは発音や、英語のつづりの指導にも影響が生じます。
児童の英語にとって必要なのは、英語を書くことや読むことでもありません。会話のために絶対必要となる音素を身に付けるためなのです。これは音楽の指導とにています。最終的に楽器が演奏でき、譜面を読めるようになることが目的でも、絶対音階が身についていない人は音楽の演奏や歌うことが上手くできないことと似ています。
そしてこの絶対音階も英語の44音素の認識も人間は早期においてしか容易に習得できないのです。(容易にという意味は、高いモチベーションと苦労があればだれでも身に着けれるということです。)
英語は音素が他の言語(平均31音素)よりもさらに多く、上述にように日本語の2倍の音素数を保持します。よく言われる英語耳とはこの44音素を聞き取れる耳ができるかなのです。
大人の方でどんなに英語が読めても、単語を知っていても、いざリスニングや会話になると聞き取れない、または意味を取り違えるなどのミスコミュニケーションが起こるのは発音や音の認識が少ないためとも考えられています。音をコード化するためには、コードを知っているだけではだめなのです。音をまず覚えなければなりません。英語の場合は音があって、それをコード(文字){残念ながら無秩序コードルール}にしたため、音の認識がこの言語の必要条件となっているのです。
2008年7月15日
How to motivate yourself in summer
夏は学習にとって挑戦的な季節です。士気が高くてもこれだけ気温が高いと熱自体がenervate(気力をなくさせる)させます。地球温暖化やエネルギーの消費の節約から涼を取ることが難しくなってきています。
そんな夏にはどのように学習をするのが良いのでしょうか?学校は夏休みに入ります。日本でも海外の学校に比べて少ないながらも6週間の休みがあります。夏になれば、我々の食欲もなくなりその食欲を増すためやまた健康管理のために通常の食事とは異なる食事の工夫をします。以前、食は体に、言葉は心にと書きました。体の管理のため、夏にはスタミナが付く肉を食べたり、酢の多く使われるものを食べたりします。またカレーなどの体を冷やす南国の食べ物を食べたりします。
言葉にも季節による学習変化をつける必要があるとしたら、夏は学習方法に変化を与える時期かもしれません。食事と同じようにスタミナやスパイスの付いた言語学習を夏にやってみるのがこの時期のモチベーションの低下を予防する方法でしょう。
会話が好きな人なら、時間とお金があれば海外で自分の英語力をトライしてもよい。お金が無ければ最近は日本の観光地に外国人が沢山訪日しているので声をかけてみるのも刺激になるかもしれません。
Output的なことが出来ない人は、わんこそば競争的なcomptetitive(競争心を仰ぐ)なことをやってみるのもよいでしょう。例えば、DVD鑑賞100本とか、洋書30冊など日ごろできない大きなタスクをやってみるのもよいでしょう。このような大量のインプット作業は普段なかなか出来ないものです。
夏休みこそ刺激ある英語学習をすることによって、秋に大きな実りをつけるチャンスになるのです。
そんな夏にはどのように学習をするのが良いのでしょうか?学校は夏休みに入ります。日本でも海外の学校に比べて少ないながらも6週間の休みがあります。夏になれば、我々の食欲もなくなりその食欲を増すためやまた健康管理のために通常の食事とは異なる食事の工夫をします。以前、食は体に、言葉は心にと書きました。体の管理のため、夏にはスタミナが付く肉を食べたり、酢の多く使われるものを食べたりします。またカレーなどの体を冷やす南国の食べ物を食べたりします。
言葉にも季節による学習変化をつける必要があるとしたら、夏は学習方法に変化を与える時期かもしれません。食事と同じようにスタミナやスパイスの付いた言語学習を夏にやってみるのがこの時期のモチベーションの低下を予防する方法でしょう。
会話が好きな人なら、時間とお金があれば海外で自分の英語力をトライしてもよい。お金が無ければ最近は日本の観光地に外国人が沢山訪日しているので声をかけてみるのも刺激になるかもしれません。
Output的なことが出来ない人は、わんこそば競争的なcomptetitive(競争心を仰ぐ)なことをやってみるのもよいでしょう。例えば、DVD鑑賞100本とか、洋書30冊など日ごろできない大きなタスクをやってみるのもよいでしょう。このような大量のインプット作業は普段なかなか出来ないものです。
夏休みこそ刺激ある英語学習をすることによって、秋に大きな実りをつけるチャンスになるのです。
2008年6月8日
Three things we have to do as human being
中国のことわざに人間が生まれてやらなければいけないことが3つあり、それの一つをやらなければ人生を終えてはいけないと言う。一つは家を建てること、二つ目は男の子を育てること、三つ目は本を書くことだそうだ。もちろんこれは象徴的な表現である。家とは大きくいえば子孫たちのための住んでいける環境である。男の子とは継承してくれる人。本とは過去の知識を伝えることと意味していると思う。
我々は今環境問題、食糧問題、教育問題と色々な課題を人類全体で抱えている。人類にとって家とは地球である。私たちは次の世代が生きていけるこのきれいな地球を残していく責任がある。受け継いで行ってくれる人類についても我々は少子化、子どもたちの自殺などを防ぐことも出来ない状況にある。そして過去の知識の継承。様々なメディアが進化し、伝えることが容易になった反面、混乱した情報は本当の知識を次の世代に伝えていないのではないだろうか。
この中国のことわざが伝えるのは人間としてすべきことを忠告するだけでなく、人類に対するメッセージにも感じた。
一人ひとりが家族であれば、地球と言う家を残し、こども全てがわれわれの子孫であれば、その子どもたちに一人一人の人生の本とすべき教えを自分の子どもに限らず教えていくことが人類全体の使命だと思う。
我々は今環境問題、食糧問題、教育問題と色々な課題を人類全体で抱えている。人類にとって家とは地球である。私たちは次の世代が生きていけるこのきれいな地球を残していく責任がある。受け継いで行ってくれる人類についても我々は少子化、子どもたちの自殺などを防ぐことも出来ない状況にある。そして過去の知識の継承。様々なメディアが進化し、伝えることが容易になった反面、混乱した情報は本当の知識を次の世代に伝えていないのではないだろうか。
この中国のことわざが伝えるのは人間としてすべきことを忠告するだけでなく、人類に対するメッセージにも感じた。
一人ひとりが家族であれば、地球と言う家を残し、こども全てがわれわれの子孫であれば、その子どもたちに一人一人の人生の本とすべき教えを自分の子どもに限らず教えていくことが人類全体の使命だと思う。
2008年6月1日
Useful Expressions Part 7
登録:
投稿 (Atom)

.jpg)