2010年1月23日土曜日

二つの英語力

英語の成績が良いのに英会話ができない。その逆に英会話はある程度できるのに、語学試験に合格しない、英語の成績が良くないという話を聞いたことがあると思います。

「語学力」の定義は難しいものです。近代の言語学の研究においても未だはっきりとした定義ができる学説や学者が登場していません。それは「言語」の定義さえ難しいからです。我々が言語と思っているものは、はたして本当に言語なのでしょうか?言語は様々な言語も含まれます。たとえば非言語と呼ばれるジェスチャーや日本人がかつて使ってきたコミュニケ―ションの手段である以心伝心でさえ。ひとつ言えるのは、人類は他の捕食動物に比べ肉体的にも劣るため、集団という方法で生存するすべを学んだため、集団力を保つために言語が発達したことです。つまりコミュニケーションです。一方、われわれ人類はもう一つの生存方法として発達させたのが文明です。文明を作るためには知識が必要です。知識の保存、伝承のためにも言語が必要となりました。つまり、我々の言語は(1)コミュニケーションのための言語力と(2)知識の保存、しいては我々の脳の発達という生物的進化のためにも存在するのです。

これを英語学習に当てはめると、我々は二つの英語力が必要になってきます。ひとつはコミュニケーション能力としての英語力。または言語学者Krashenが定義するところの習得(acquisition)がこの言語能力の領域になります。この能力を磨くには、とにかく使わなければなりません。蓄積しても蓄積されないのが会話の言語です。常に使わなければ忘れてしまう英語が存在するのです。この語学力をマスターすることは、簡単な英語を聞く、話すことを繰り返すことです。この領域は高いレベルの知識を使用することはありません。ですから誰もがマスターすることが可能です。問題は時間です。簡単な表現を聞いて、話す機会を得ることは、その外国語を使わない状況においては非常に難しいのです。そのためには定期的に長期にわたり、または短期に集中して英会話スクールを活用する。または時間がある時に海外に1~3カ月ぐらい留学することも効果的と思えます。

もう一つの領域とは知識の領域です。この領域は論理的に体系的に言語を学習し、また短期間で記憶するなどのメンタルな負荷が非常に高い領域です。いわゆる学校英語がこの知識の領域です。分析的に文法を中心に学習することで言語の仕組みを理解し、また短期間で語彙を覚えることにより言語の理解へのベースが作れる領域です。しかしながら、いくつかの不利な部分がこの領域にはあります。それはこの領域の知識は習得領域へのtransfer(伝達)がほぼ不可能なことが様々な研究で明らかになっています。更に、この領域の知識はwash-backと言われる現象(テストなどの一夜づけなどで覚えたものはすぐに忘れてしまう現象)も起きると言われています。知識領域への蓄積も継続的に少量ずつ行うことが勧められます。この領域を言語力の中枢と考える学者もいます。たとえば、70年代にはやったオーディオリンガル(とにかくリピートして覚える)の考案者Ladoや生成文法のChomskyです。しかしながら、この領域の言語力では話せない、また言語処理への負荷が高く、さらにmonitor(自分の言語を監視する)することを過剰に行うようになり、間違えを気にするようになり、また解釈と発話のプロセスが非常に遅くなるため、実際の会話では自分が話している間に相手が話し始めるとその聞きとった英語を理解できず、聞いた内容を処理することに時間がとられ話すタイミングを逃す場合が生じます。

近年の二種類の言語能力について、カナダの言語学者Cumminsも二種類の言語能力について言及しています。彼の説では言語には生活言語能力(BICS=Basic Interpersonal Communication Skills)と学習言語能力(CALP=Cognitively Academic Language Proficiency)の二つがあると説いています。生活言語能力こそ会話などの言語力であり学習言語能力こそ学校やテストなどの言語能力です。異なる二つの領域は認知的要求度とコンテクストの量により分かれてきます。

英語力が高いというのはこの両方の領域のすべてが高いことを意味するのか、どちらか一方でも高いかは、学習者個人が持つ価値観や求められている学習状況により異なるでしょう。英文学を楽しみたい人は学習言語能力を高めることが大事だと思うでしょう。会話だけができるようになりたい人は生活言語能力だけを伸ばしたいと思うでしょう。学校の外国語授業でもこれまでの教養としての英語授業を継続すべきという学者もいれば、小学校からの学習こそが生活言語能力を高める機会だと主張する学者も多いことは確かです。

私は個人的には生活言語能力も学習言語能力も両方あったほうがよいと思います。それは、第一言語同様話すことをも楽しめ、また文学などの世界も楽しめるからです。ただ、どの学習方法がどの言語能力を高めることに卓越しているかを知らない場合、遠回り、または自分が現在目標としていない違う言語能力を高め、本来高めたい領域がなかなか高められないことになると思えるのです。正しい学習方法を知る前に、自分の目標を定め、その目標がどのような言語能力を要求するかを知り、効果的な学習法を見つけることが賢明だと思えます。