1983年にハーバード大学のHoward Gardner博士がMulti Intelligencesとい説を立てた。我々は言語的、理数的な能力にいつも焦点を当てている。理論的で説明力のある人を尊敬する傾向があるが、人間は一人一人何かの才能を持って生まれている。他の才能、例えば芸術、音楽、建築、自然学、舞台芸術、調理師などの様々な才能にも高い敬意を払う必要があると述べている。そして、こうした才能が早期に見つけられ伸ばされない限り、ADDや学習障害と認識されてしまうと述べている。
言語を話すことは第一言語に関しては誰もができることである。これは言語学者KrashenもいうようにAcquisitionによって習得するからである。しかし、第二言語を習得するには、特殊なプログラムや専門家のアドバイスを受けない限り第一言語を習得しながら習得できる人は特別な才能が必要となる。それは高度な知的能力、高度な記憶技術、音素を聞き取る高度な音楽才能などが必要となる。このような才能はもしその人が他の高度な技術を持って生まれた場合残念ながら無い場合、または極端に低い場合がある。そうした人が無理に第二言語を学習しても成果を得れない可能性があるのである。
高等教育が確実に日本の社会構造に組み込まれ、外国語教育も社会に入り込もうとしている。外国語の重要性や高等教育の必要性を説くのだけでなく、学習者個人の才能、個性も考えた個々に向いた教育の大切さにも焦点を当ててほしいものだ。NEETが社会問題になっているが、一人ひとりに合った教育や研修を与える機会を家庭や社会が作らなくなっているのではないのだろうか?